チェーンソーで薪づくり


 ゴールデンウイークの五月晴れの日、チェーンソーで伐採されたクルミの木を輪切りしていた。そこへ例のワンパクたちがやってきた。積み上げたクルミの木の前に彼らは立つと、枝をそれぞれ1本ずつ引っぱりだした。チャンバラの刀だな。一人の子がその枝をぼくのところへ持ってきて、ここを切ってほしいと、指で切断してほしいところを示した。
 ここかい、うん、ぼくはチェーンソーで切ってやる。別の一人も枝を持ってきた。切ってやろうとしたとき、チェーンソーがぴたりと止まった。
 燃料が切れたかな、新しい燃料をチェーンソーに入れる。エンジンをかける紐を引く。何度も引くがエンジンはかからない。そのとき、
 「ここで遊ぶんじゃないぞ」
 大きな声がした。床屋のおやじの香山さんだ。伐採した木が断裁されて積まれている。チェーンソーが唸っている。そこで子どもが遊んだら危険だ、とおやじさんは家から見ていて思ったのだろう。そこでとことこやってきて、注意しておこうとなったのだ。
 「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ。この子ら、チャンバラごっこですよ。こういう子らがまだいるんですよ。日本の重要文化財ですよ。世界遺産ですよ」
 ぼくがそう言うと香山さんは笑い出した。もう注意は終わり。
 「いやあ、このチェーンソーがうんともすんとも言わないんですよ」
 「掃除したかね。ここ開けてね‥‥」
 香山さんは座り込んで、チェーンソーの講義を始めた。どこで買った? いくらだった? 掃除の仕方はどうする、チェーンソーの刃をやすりで目立てしなけりゃ切れ味が悪くなるぞ、4ミリの○やすりがいい、穂高の駅前に金物屋がある、そこで売っているからそこで買うといい、おらもクルミの太い幹を少しもらった、キノコの菌を植えた‥‥
香山さん、お客さんは来ないのかね。講釈を終えると、香山さんは帰っていった。
 それから数日、掃除をしても動かないチェーンソーのことを、村のコーラスの練習のとき、巌さんと有賀さんにたずねてみた。二人は自分の経験を話してくれる。結局メーカーか購入したところに聞くしかない、という結論になった。
 やっぱりそうかあ、やっかいだなあ、そう思いながらまた日が過ぎる。いつも不思議に思うのだ。どうにもできないままに時間が飛びすぎていくけれども、とある瞬間に、ひらめく。ひょっとしたら、という思いが飛び出してくる。今回ひらめいたのは、
 「エンジンの燃料は、ガソリン50にオイル1にしなければならない。混合燃料をつくってチェーンソーの燃料入れに入れたとき、混合容器が小さかったからガソリン25ccにオイル1ccをまず入れ、続けて25ccのガソリンを追加しなければならなかったのに、その追加を忘れていたのではないか。」
 このひらめきが頭にぱっと浮かんでから、まずこれは間違いなさそうだと思うようになった。
 そして今日、燃料タンクを空っぽにしておいたチェーンソーに50対1にして燃料を入れた。紐を引いてエンジンを始動させる。バリバリ、エンジンがかかった。ひらめきは当たっていた。
 クルミの木の枝をバリバリと切断する。来年の薪ストーブ用の薪がたっぷり生まれた。 人のよい香山さんの家でも、風呂焚き用の薪が山のように積んである。
「いろんな人が声をかけてくれて、薪がひとりでに集まってくるだよ」
 香山さんはそう言う。香山さんの薪は、人の良さの結晶だ。