2016-01-01から1年間の記事一覧

 汝、殺すなかれ …「戦争は殺すことから始まった 日本文学と加害の諸相」(新船海三郎著)

「冬の夜」という童謡がある。子どもの頃から好きな歌だった。 「ともしび近く きぬ縫う母は 春の遊びの 楽しさ語る 居並ぶ子どもは 指を折りつつ 日数かぞえて 喜び勇む」 続く歌詞は、一番、二番とも、 「いろり火は とろとろ 外は吹雪」。 美しい曲で、何…

 人類への予言

「いつか森の中で」(草薙渉作 読売新聞社)という小説を読んだ。1995年に出版されたものだが、最初の部分を読んだだけで放置したため、長く書棚に眠っていた。それを何の気なしに手に取り読んでいくうちに、これは人類への予言のように思えてきて、ストーリ…

 福島の親子キャンプ

福島に帰る朝、エイトちゃんがひとり、地球宿の庭で小さなポリ袋を開いていた。4歳のエイトちゃんは、「どあい冒険くらぶ」のキャンプ場で、自分の指の爪ほどの虫を2匹つかまえ、土といっしょにポリ袋に入れて地球宿に持ち帰った。今日、家に帰るからこの…

 「あるく ウォーキングのすすめ」(宮下充正著 協力 暮らしの手帖編集部)という本

ストックを右手について歩く、ランと一緒に痛むひざを引きづりぎみに、朝の道を。 NHKテレビの朝の人気ドラマは、花森安治編集長の雑誌「暮らしの手帖」が舞台になっている。蔵書を整理していたら、ひょいと暮らしの手帖社の本が現れた。「あるく ウォー…

 孫たちとキャンプ

今年もキャンプに行きたいという。どこかいいところがないかと探した。去年は、近くの烏川渓谷のキャンプ場に行った。小学生と幼稚園の孫たちを含めた二人の息子の家族7人。テントを張るサイトが区割りされていて、テントが林立していた。キャンプ施設は整…

 NHKスペシャル「決断なき原爆投下〜米大統領 71年目の真実〜」を観た

思いこんでいたことは事実ではなかった。奈良と京都が空襲から免れたのは、アメリカが日本の歴史的古都を破壊しないようにしたからだと、聞いたことがあり、ぼくはそれを事実だと信じてきた。先日のドイツの旅の記録でも、ぼくはこう書いた。 「この中世都市…

巣を去ったキツネ、焼かれたイチョウ

一枚の田んぼを大きくして、畔や農道を整える圃場整備が地元で行なわれている。我が家の東側はこの春完了し、秋から西側が始まる。ところが、すでに整備された稲田の中に、長年耕作放棄されて草がぼうぼうと生え、古タイヤや古ドラム缶が捨てられている2000…

 昭和15年の冬、最後の登攀

高須茂が木村殖とおもしろい話をしている。昔のことだが、「日本山河誌」(角川選書)のなかにある話。高須:「昔話だが、上高地の小梨平事件というのがあったね。昭和6年だったろう? ぼくが学校卒業する前の年だ。」 「小梨平事件」というのは、上高地の…

 雷雨激し

午後、雷鳴とどろき、篠突く雨となった。昼過ぎまで蒸し暑い日照りだったが、三時ごろにわかに雲がわき出た。それでも、 「いや、これぐらいじゃ、雨は大丈夫。あの雲は松川村か池田町辺りだな」 と高をくくっていたところが、ぽつりぽつりと降り出したかと…

 ハチ

ハチさんは友だち、とか言っていたら、ここ二日、草取りをしていて刺された。コアシナガバチで、ハチの体も巣も小さく、ぼくが顔を数十センチほど巣に近づけても、巣の上で巣作りと巣の防御をしているハチたちは攻撃してこない。コアシナガバチは、普通よく…

 改稿 エッセイ『ドイツの環境、森を愛する人びと』

五月の旅 五月に、森の民の森の国を旅をしてきた。 旧制松本高校出身のドイツ文学者・小塩節を育てたドイツ語教授の望月市恵は穂高に住んでいた。望月市恵は、北杜夫、辻邦生、小塩節ら学生たちを育て、トーマス・マンの著作を翻訳し、人生の最後に小塩節と…

  草の勢い

ジャガイモの二畝をやっと掘り切った。 ドイツの旅から帰ってきたら、黒豆畑の草は腰の丈ほどにもなっていた。あまりにひどい。 「怠けたらこのありさまです」 と、クルミのおばさんに言い訳したくなるほど。 それを取り切ってから数日後、大阪で滝尾君と森…

 友のありがたさ

都ホテルのロビーにある喫茶室に向かっていくと、中の席に座っているじいさんが、じいっとこちらを注視している。彼らの一人だな。ぼくはストックを上げて知らせた。それにしても見たことのない人だ。喫茶室に入る。そのじいさんと一緒に、森君と滝尾君がテ…

 チルコット委員会の報告

参議院選、結果はどう出るだろう。御厨貴氏は、「国民が与党に3分の2を与えることになれば、ある種の堰を切ったようになる」と述べていた。「堰を切ったようになる」、堤防の一部が切れれば、もう止めようとしても止まらなくなり、洪水は一挙に堤防を崩して…

 今年の虫、小鳥、その他生物

安曇野に越してきたとき、「蚊がいない」といううれしい発見があった。中古の家の庭は数本の木が植わっていたが、草がほとんど生えていなかった。周囲は水田とタマネギ畑、蚊の発生するところがない。だから蚊がいない。それから11年たって庭は、草も木も盛…

 人間の顔に現れるもの、人間の心に潜むもの

写真家で作家でもある藤原新也に、秋山訓子が質問した。その記事が載っている。 「顔で政治家を判断できますか?」 藤原は即答した。 「顔っていうのは残酷なまでにその人の内面を表す。写真家ならシャッタースピードの2分の1秒もあれば判断できるかな」 …

 ドクダミ、コウモリ、草

今年はドクダミの乾燥がうまくいった。ドクダミ茶にするには、花の時期の今がいちばんいい。 庭に広がって咲いているドクダミの花から10センチほど茎を摘み取る。それを使わなくなった古い網戸を利用して干す。網戸は物置に置いてあるのを4枚出してきて、…

 あの子は無事だったろうか、ひとつの葛藤

夕方5時過ぎ、勤務を終えての帰り道、ぼくは時速40キロほどでミニカを走らせていた。道路に沿って幅の狭い歩道がある。そこを小さな自転車が走ってくる。全速力でペダルをこぐのは、小さな男の子だ。幼児が幼児用の自転車に乗って、懸命に走ってくる。一…

 人びとの中の「古層」

ドイツを指すジャーマン・GERMANをドイツ語で発音するとゲルマン。 原始ゲルマン人は土地共有性を実施し、自給自足的村落を形成したそうだ。霊魂崇拝、自然崇拝が行なわれ、彼らの神は森の中に住んでいた。だから今もドイツ人は森の民。霊魂崇拝、自然崇拝、…

日本の景観美を想う

最近見た映像だが、木曽路を馬篭から妻籠まで歩いて旅籠(はたご)に泊った外国人たちが、その美を「こここそが歴史的日本の美であり、日本一だ」とほめ讃えていた。ぼくが初めて妻籠を訪れたのは、人の気の絶えた1970年一月末だった。志賀高原に行き、帰り…

 動物園へ行った

朝からトラムに乗って家内と二人動物園へ出かけた。どこの停留場で降りたらいいか、乗り場にいた市民に聞いて路面電車に乗った。駅には駅名が書いてある。それを見逃さないようにドア近くに立つ。 「この駅だ」 駅名を見て、近くにいた若者に確かめると、ZOO…

ストリートミュージシャン

何人かの辻音楽師に出会った。 今の呼び名はストリートミュージシャン、 街かどに立って曲を演奏する。 フランクフルトの街で、 老いたバイオリン弾きに出会った。 四角い小さなスピーカーを路上に置いて、 スピーカーから流れるオーケストラの音色に合わせ…

幼稚園、学校の教育と自然

フランクフルトの住宅街を歩いていると、大きな樹が葉を茂らせているところがあった。足を止めて観察する。ほう、幼稚園かあ。興味深々でのぞいた。したたる緑のなか木漏れ日が映っている。目の前に遊具がある。子どもの大好きな、冒険心をくすぐる遊具。ア…

子どもの休暇、大人の休暇

夏休み、冬休みは、子どもにとってもっとも楽しいときだ。ぼくの子ども時代は野性的文化時代と言えるような日々で、家の手伝いもあるが、何より近所の仲間とあるいはクラスの友と思う存分遊ぶ、遊びを創造する、冒険、探検の日々だった。自由を謳歌し、自分…

農業政策とエネルギー政策

宿は、小さな質素なホテルだった。朝食で特においしいと思ったのは、パン、ヨーグルト、チーズ、ハム。堅い歯ごたえのあるパンをちぎりながら食べる幸せ、幾種類もあるチーズとハムも食欲をそそった。ヨーグルトと温かいコーヒーのおかわりができることは、…

古城の街からサイクリングに行く

ICE(新幹線)に乗って、途中で乗り換え、古い中世の地方城壁都市に行った。駅から展望すると、小高い丘の上に街があり、教会の尖った塔がいくつか空に伸びている。街の周囲は城壁が取り囲む。千年の時を経た歴史遺産都市だ。 駅から城内まで30分ばかりだけ…

歩く文化と街道の国

未知への旅は、先入観・固定観念をどんでん返しにする。元来旅というものはそういうものだろう。 敗戦後ヨーロッパ随一の経済発展をとげた工業国という頭の中のこの国の姿と、今目の前に広がる事実とは、まったく違った。そこは森の国、古い歴史を刻む街道の…

アップルワインの酒場

日曜日の住宅街は、ことのほか静かだ。マイカーは歩道にくっつくように一列に整然と駐車している。そのなかにおいしい田舎料理が食べられる店があるらしい。リンゴワインにソーセージがおいしい店は、どこかいな。店の看板というものはなく、小さな標識があ…

 森の国の春

SPRING、 北の国の 春、五月、 長い冬の眠りから覚めて、 大地から湧きあがる泉(SPRING)、 バネ(SPRING)のごとく跳ねあがり、 木々は芽吹き、花咲く。 まったく予想イメージをはるかに超えた。この壮大な平原の森、聞きしに勝るここは森の民の森の国だ。…

 人間のいちばん悲しい誤り

旅をしてきた。そこは森の国だった。その地の人、ヘルマン・ヘッセはこんな詩を詠んだ。 旅の秘術 あてどないさすらいは 青春の喜びだ。 青春とともに その喜びも色あせた。 それ以来、目あてと意志とを自覚すると、 私はその場を去った。 ただ目的だけをせ…