古城の街からサイクリングに行く


 ICE(新幹線)に乗って、途中で乗り換え、古い中世の地方城壁都市に行った。駅から展望すると、小高い丘の上に街があり、教会の尖った塔がいくつか空に伸びている。街の周囲は城壁が取り囲む。千年の時を経た歴史遺産都市だ。
 駅から城内まで30分ばかりだけれど、重い荷物を痛む足でゴロゴロ引いていくよりもと、タクシーを頼んだ。城門を入ると長い年月で擦り減った石畳の道が縦横に走っている。一辺が10センチ余りの石の立方体、さいころみたいな石だな、それを敷き詰めた道だからでこぼこしている。石の民家や木組みの家、教会の塔、店、公園、路地、古い歴史が降り積もっている。宿は城壁内にあった。完璧なまでの美しさというのが第一印象だった。現代に生きる中世都市も戦時中に連合国軍の爆撃を受け、城壁の一部や市街地は空爆によって破壊された。被害が完全破壊に至らなかったのは、歴史的重要遺跡の価値に造詣の深かったアメリカ軍司令官の想いがあったからだという。戦後この珠玉のような街は、多くの人びとの願望によって、街まるごと歴史的遺産と自然環境の復元がなされた。

 歩けば歩くほど心に感じられてくるものがある。この美しさは何だろうか。「絵のように美しい」という常套的な表現は論外だ。絵よりも美しい風景は世界中に無限にある。この街の美しさは何だろう。千年の歴史、長い過去に生きた人たちの痕跡、破壊と創造、今を生きる人たちの暮らし、周囲を取り巻く森の木々、いろんな要素が集積して生まれたもの、それがこの美ではないかと思う。点ではなく面を、さらに言うなら、人が立つその場所を基点にした小宇宙がどこであってもそこが味わうべき美しさをたたえているところにしようという意志が創りだすもの、それが環境の美ではないか。
 ぼくらは旧市街のなかの古い宿に泊って歩き回った。どこからかパイプオルガンの音色が聞こえてきた。それに誘われて入ったところは教会だった。数人の観光客がいた。頭上高くにステンドグラスがある。オルガンの演奏は堂内の右上から聞こえてくる。二階に演奏者がいた。ぼくらは床に並んでいるたくさんの木の長椅子の一角に座って、演奏を聴いた。背後からのオルガンの曲を聴きながら前方上を見ると、キリスト像があった。音楽を聴きながらキリスト像を見つめていると、ふと頭に問いが浮かんだ。この国は今たくさんの難民を受け入れている。難民は更に今もヨーロッパをめざしている。世界中で戦火は絶えず、この今も人は死んでいる。
「主よ、なぜあなたはこのような世界になさったのですか」
 問いは、ぼくの戯れのつぶやきでもあった。返答が浮かんだ。
「それは、あなたがた人間が行なっていることです。その問いはあなた方人間自身への問いです」
 戯れの自問自答、人類はいつまで憎悪、戦乱、殺戮、飢餓の世をつづけるのか。

 この街に来て二日目、ぼくは城壁の外の渓谷沿いにサイクリングしてみたいと思った。宿のパンフレットの地図にタウバー渓谷のハイキング道がぼくを引き付けた。廊下の掃除をしていた若者に貸自転車屋の場所を聞いて、一人でそこを訪ねることにした。ノルディックストックをつき、城門の外へ出る。城壁の周りは緑地帯の公園なっている。30分ほど歩くと、自動車道沿いに「Rad&Tat」の標識が見えた。店に入ると、自転車の調整をしている兄ちゃんがいた。4時間ほど借りたいと言うと、10ユーロだと言う。現金を払うと兄ちゃんが手招きするから後に付いて行った。裏庭の自転車置き場にはたくさんの自転車が並んでいた。兄ちゃんはぼくの身長を見て、選んだ一台をもってきた。大丈夫かねえ、ぼくはサドルにまたがってみた。が、サドルが高くて足が地面に着かない。
「デンジャラス‥‥」
 自転車ごと横に倒れて、走ってきた車が頭がい骨を粉砕する光景が脳裏をよぎった。何年か前、自転車を止めたときに足を下ろすと、そこが低くなっていたために足が地面に届かず、横転した経験がある。恐ろしい。
「もっとサドルの低いのがいい」
 ところが彼は「ない」という。
「チャイルド用は?」
 そう言うと、かれはまた並んでいる自転車の列を見に行って、一台を取り出してきた。またがるとこれはちょうど足も地面に着く。OK、これがいい。まずは試し乗り。ペダルをこいで走ってみた。すると、ペダルに乗せた足を逆回転気味にしたとたんにブレーキがかかった。
「あれ、これはどういうこっちゃ。」

 これでは脚を静止したままの走行ができないではないか。
 「日本では、足をストップする、足をペダルに乗せたままスーイと走るよ」
 身ぶり手ぶりで説明すると、兄ちゃんは、
「いや、この自転車も、足を乗せたままスーイと走る」
と言う。どうも「足を逆回転させるとブレーキがかかる、両手でもブレーキをかけられる、足を乗せたままならスウと進む」、という意味のことを言ってるらしい。そこでもう一度広場を乗って一周してみた。ああ、なるほど、がってん。ペダルを少しでも逆回転させるとブレーキがかかるが、足を静止していればブレーキはかからない。日本でいつも乗っているママチャリ同様に、すいすいと走る。
 ぼくはにっこり笑って、OK、これで行くよと、地図をお兄ちゃんに見せて、このコースを走るよと言うと、一生懸命コースを教えてくれた。言葉はよく分からないが、最高の景色らしい。なんとなくコースの状態も理解できた。急なカーブ、急な下り、石橋がある、まあ行ってみるずら。手を振って出発した。お兄ちゃんは、「元気な日本人のじいさんだ」と思っているに違いない。

 右に城壁を見ながら樹林の中を西に進む。道が細くなり、やがて明るい斜面のブドウ畑に入った。ワイン用のブドウは背丈が低い。手前に下りの道が見えたが、ここは判断のしどころ、どうするか迷っていると、後ろから一人のおばあさんがやってきた。おばあちゃん、教えて! 地図を見せて石橋はどこ? と聞くと、
「うしろのあの坂道を下りまっしょ」
 ありがとう、ニッコリ笑って少し戻り、急な坂を下る。両手のブレーキに足ブレーキをかけて、下って行ったら石橋があった。そこから展開する風景はなんともはや、美の極致、心の深呼吸をして体の深呼吸をして、すいすいサイクリングだ。ひざの痛みはどこかへ飛んでしまった。もう足ブレーキは気にならない。自由自在だ。川沿いに進む。小川は樹木におおわれ小鳥が鳴く。数軒の瀟洒な農家が現れ、窓辺に花が咲く。また進んでいくと牧草地が現れた。そこには色とりどりの無数の花が咲く。クロウタドリも鳴いている。ちょっと座りたいなと思っていると木のベンチがあった。川をのぞくとマスらしき魚影が見える。ところどころ川に石橋がかかっている。誰もいないから、ちょっと木立の下で用を足した。街の中なら探さなければならないが、それは無用。また農家が現れ、水車が回っている。直径2メートルほどの水車は粉ひきに今も使っているのだろうか、苔が生えているが回転している。馬のいる牧場もあった。牛のいる牧場もあった。羊のいる牧場、アルパカのいる牧場もあった。コースの標識は小さな札で、分岐点にある。お花畑の花はいろいろ変化する。右手奥の方に城壁と塔が見える。小川の水を浄化しているのか、水の処理場があった。この小川にも下水が流入しているのだろうか。数軒の集落のなかに緑したたる美しい村の墓地があった。新緑の木に囲まれ、墓石の間にも木や花がある。こんもり新しい土盛りがあり、その上に花束が置かれている。最近亡くなられた人の墓だろう。今も土葬が行なわれている。

 どんどん一本道を行った。道が分岐するとそこの標識に従った。けれどとうとう標識が見られなくなった。どこかで道を間違えたか。もうこの辺りから、方向転換しようと地図を見ていると、農家から自転車に乗って出てきたおじさんが、声をかけてきた。おじさんは、この道を行くといいといろいろ話してくれるが、よく分からない。「私に付いてきなさい」と言ったけど、大丈夫ですよ、わたしは土地勘がありますから、ミツバチマーヤですよ、と心に呟きながら、出発していったおじさんの後からゆっくり行った。おじさんは、たちまち森の道のはるか向こうを走って消えていった。
 12時半ごろ、サイクリングを終えて自転車屋へ戻ってきた。兄ちゃんに、「グーッド」というと、ニッコリ笑い、自転車の鍵はそこの台に置いといてと言って、作業を続けていた。