午後、雷鳴とどろき、篠突く雨となった。昼過ぎまで蒸し暑い日照りだったが、三時ごろにわかに雲がわき出た。それでも、
「いや、これぐらいじゃ、雨は大丈夫。あの雲は松川村か池田町辺りだな」
と高をくくっていたところが、ぽつりぽつりと降り出したかとみるや、急激に雲が低く押し寄せ、稲妻が走り雷が鳴り出した。
視界が消えて、辺りが暗くなり、それから土砂降りとなった。
雷鳴は一発一発異なる。「ゴロゴロ」は遠い。「ドドドン」というのや「ドカドカドン」、大砲のような「ズドーン」というのもある。次第に近づいてきた雷は、光ったと思うと、「バリン」と来た。これが怖い。この音は落ちる。
窓を閉め、雨の入らないようにして、暗くなった部屋に電灯を付けた。が、ピカッと光った瞬間に電気が消えた。危険信号だ。すぐにブレーカーを落とす。
それから部屋は蒸し風呂の暗がり、窓の外の雨を凝視する。
ここの田舎道を行く車は一台もない。小鳥たちが消えた。この豪雨では車のワイパーも効き目がなく、前方が見えないだろう。道路で停止して雨やみを待っている車がある。
一時間余り、雷は暴れまわって5時ごろに消えた。お向かいのミヨ子さんの愛犬、マミちゃんの犬小屋前が浸水して池になっている。
ひさしぶりの頭上の雷だった。
これまで出会った頭上の雷を思いだす。
北アルプスの稜線上で遭遇した雷雨の恐怖。
学生の時は、5人で縦走中だった。背中のザックに付けたピッケルがジージーと音をたてた。
「急げ、急げ」
鞍部に駆け降り、はい松のなかにもぐりこんで難を避けた。
30代、教員のぼくは二人の教え子と薬師岳の太郎平に登っていた。稜線に出たら、雷雨が襲来した。平坦な尾根の上で、避けるところがない。他の登山者も歩いている。
「山のかみなりの恐ろしさ知らんのか、逃げろ、走れ」
と大声で叫びながら、ぼくらもザックを背負ったまま走り、他の登山者を急かす。コルまで全速力で走って助かった。
その数年後、松本深志高校の西穂高岳・独標の遭難があった。学校行事の登山で西穂高を目指して登っていた生徒たちに落雷し、岩場を攀じていた生徒たちは跳ね跳んだ。12人が命を落とす大事故だった。
今日午後は、長野県に大雨警報が出ていた。大雨に続いて、土砂災害警報が出た。警報をテレビで知って、烏川の水のことをまったく考えていなかったことに気づいた。今住んでいる地域は、北アルプス常念山脈に源流を発する烏川の扇状地だ。何百年、何千年前から、烏川は洪水のたびに流れを変えて、犀川に注いだ。我が家の位置も昔、烏川の流れたところだったと、ご近所の地質学を研究してきた大池さんに聞いたことがあった。
犀川は今は大丈夫だと思いはする。しかし自然の力は予測できない。信じすぎないことだ。