歩く文化と街道の国

 未知への旅は、先入観・固定観念をどんでん返しにする。元来旅というものはそういうものだろう。
 敗戦後ヨーロッパ随一の経済発展をとげた工業国という頭の中のこの国の姿と、今目の前に広がる事実とは、まったく違った。そこは森の国、古い歴史を刻む街道の国だった。
 昔から続いてきた歴史的遺産の街や森、美しい風景をつないだ長距離にわたる帯が「街道」と名付けられ、この国を覆っている。自然と歴史遺産を守り復元してきた人びとの、我が祖国の美を讃える愛の結晶でもある。他国の観光客にも有名なのは、
 ゲーテ街道、全長400キロ。
 古城街道、全長300キロ。
 アルペン街道、全長450キロ。
 メルヘン街道、全長600キロ。
 ファンタスティック街道、全長400キロ。
 エリカ街道、全長300キロ。
 ロマンチック街道、全長350キロ。

  これらの距離、相当なものである。実際にこの街道を徒歩で歩くことは困難をきわめる。ちなみに日本での都市間で言えば、東京・大阪間は、約500キロである。
 上記の街道は、ドイツ政府や自治体が設定した「休暇街道」と呼ばれている総数150ルート以上ある街道の一部である。中には「アスパラガス街道」「バーデンワイン街道」「ドイツおもちゃ街道」というのもある。個人旅行者向けにガイドを整えた「個人の休暇を楽しむ」ために設定されたこれらの街道は、「家の中に引っ込んでいないで太陽の下に出て行こう」「街や森を歩き、自然の中に溶け込もう」という文化から生まれた。そういう願い、意志を人びとが共有しているということだ。ドイツ平原にはいたるところに森があり、南部はヨーロッパアルプスにつらなる。今も、アルプスには雪が積もっている。
 この国では、土日休日は多くの店が休業する。会社員も金曜日の午後4時になるとビールを飲み始め、さっさと帰宅する。5月になると、街のビアガーデンは大入り満員だ。7月になると、学校は夏休みになる。長い長い夏休みだ。子どもたちも、学生たちも、山や森へワンダラーの旅に出る。

 「ワンダーフォーゲル」運動、すなわち「渡り鳥」運動はドイツが発祥の地だ。中世のドイツの学生たちがすぐれた先生を求めて、あちこちの大学を渡り歩いたことからこの言葉が生まれたという。学生たちは背中に大きな籠を背負い、必要なもの一式を入れて、野宿しながら徒歩旅行をした。それにヒントを得て、1895年、ギムナジウム(中等学校)の生徒たちは、ギムナジウムの無味乾燥な授業に抗議し、血の通った生きた学びを求めて徒歩旅行運動を始める。旅をしながら各地の歴史遺産や文化遺産をめぐり、生物や鉱物、地質を勉強し、産業を学び、民謡を歌い、フォークダンスをして、事実・現物・現地の人に触れて若き情熱を燃やした。1897年、「ワンダーフォーゲル」と名付けられた運動は国の全土に広がり、学生たちは森を歩き、野営をし、山に登った。広がる運動は教育思想の内実を変えていった。ユースホステルはそこから生まれた。この運動が日本に入ってきたのは1930年代、そして第二次世界大戦に突入し、日本でもドイツでも運動はその間断絶した。戦後、運動は復活し日本の大学で活発に行なわれるようになった。
 1960年ごろ、ワンゲル部も山岳部と同じように山を登攀した。山岳部とワンダーフォーゲル部の違いを、ひとりのワンゲル部の男に聞くと、彼はこう説明した。
「山岳部はより高く険しく、点をめざし線を行く。ワンゲル部は、高きも低きも含め、より広く面を行く」
 そしてどちらも、より困難な、未知なる自然にチャレンジし、より美しき憧憬を追求した。
 ドイツには、高等職業能力資格認定制度のマイスター制度がある。マイスター資格は1年以上の実務経験を経て、ファッハシューレ(高等職業学校)で学び、修了資格を得る。修了年数はフルタイムの場合は2年間。
 以前、ドイツの若者が大工のマイスター資格を得る過程を取材したドキュメンタリーをTVで見たことがある。大工のマイスターを目指す若者が、2年間の実務経験を積む徒歩の旅に出る。定められた最小限の持ち物だけを背にし、たった一人野を歩き森を抜け、村から村へと渡り歩き、「何か仕事させていただけませんか」と家々を訪ねる。「家のここを修繕してくれ」「小屋を建ててくれ」など、何らかの大工の仕事を得ると彼はそれを完成させ、施主の実習証明といくらかの賃金をもらって次の村に向かう。こうして二年間の旅で必要な力をつけた若者は、マイスターとして資格を得る。この「武者修行」は、技術の修練であり、社会人として人間としての学びでもあった。社会が若者を一人前のマイスター、社会人に育てていくこの仕組みは、教育の重要な一つの姿を示して、感動的な映像だった。
 「ワンダーフォーゲル」運動の原点精神と通じている。