チルコット委員会の報告

 参議院選、結果はどう出るだろう。御厨貴氏は、「国民が与党に3分の2を与えることになれば、ある種の堰を切ったようになる」と述べていた。「堰を切ったようになる」、堤防の一部が切れれば、もう止めようとしても止まらなくなり、洪水は一挙に堤防を崩してしまう。与党にとって3分の2は大勝利、いよいよ憲法を変えることに着手する。護憲野党はこの国の平和が崩れていく危機の到来と受け止める。それにしても出会う人出会う人、みんなのんきなものだ。「堰が切れるか」というような人びとの危機感はあまり感じられない。職場でも、隣近所でも、市民運動の場でも、国政の話題が出てこない。
 9日、10日と大阪へ出かけるから、ぼくは不在者投票をしてきた。夕方投票所に行くと、他に投票する人の姿はなく、係の人たちも手持無沙汰で、おしゃべりに花が咲いていた。
 世界の各地でテロが起こっている。日本人も巻き込まれた。バグダッドで起きた大規模テロでは、約250人の犠牲者が出た。
 7年越しで公表された英国チルコット委員会の、イラク戦争調査報告書は、膨大な記録だという。報告書は開戦当時の英政権の判断と対応を厳しく批判し、当時の首相ブレア氏の、米ブッシュ政権の対イラク策に根拠なく追従した経緯を明らかにした。当時のブレア英政権は、
 「何があっても行動を共にする」
アメリカのイラク攻撃に歩調を合わせた。
 「イラク問題で米国を完全に支持しなければ米英協力の重要な分野が損なわれる」
 「米国の政策に影響力を及ぼすには、完全に協力し、内部から説得することが最善」
 と、元ブレア政権。
 報告書では、イラク占領を続けた英政府の姿勢も厳しく批判した。戦後のイラクでは、宗派対立や民族対立が高まり、テロが活発化する中でISが生まれて、内戦下の隣国シリアに実効支配を広げた。IS関連のテロは中東だけでなく、欧州、アジアにも広がった。
 「イラクで軍事行動をとれば、アルカイダなどテロ組織の脅威が高まり、イラクの兵器がテロリストの手に渡る可能性がある」
 情報機関がブレア氏に対して03年2月に警告していた。
 イラク侵攻は、誤った情報による「大義なき戦争」だった。「堰を切ったように」テロは広がった。報告書は、英国の自己点検の産物である。
 日本の小泉首相は開戦後、間髪をいれず米国への「支持」を表明し、ブッシュ政権に追従した。そして日本は自衛隊派遣に踏みきる。
 かくして動乱の火種は拡大した。イギリスの元首相ブレアは、「言い逃れはせず、全責任をとる」と。
 ブッシュのアメリカに追随した日本はイラク戦争に対する徹底した自己検証を行なわず、あやまちを糊塗して、新たな「堰を切る」ための既成事実を安倍政権は積み重ねている。
 厳しい自己検証ということでは、アメリカのベトナム戦争についてもかつて行なわれた。ベトナムアメリカの政府、軍の関係者が共同で、ベトナム戦争を検証した結果、明らかにされたのは、この戦争は、アメリカのベトナムに対する誤った見方に発したものであったこと、事実を正しく見極めることができていなかったこと、そして戦争の途中で何度も戦争を止める機会があったのに、その機会を生かさず、戦闘をエスカレートしていったこと、その結論は、「この戦争はしなくてもよい戦争だった」。
 この戦争はまちがった戦争だった。ではなぜ戦争を始める前に判断できなかったのか。
 いったん「堰を切った」怒涛は止めることができない。軍備拡張、他民族排斥、愛国心高揚、思考停止、政権追随、異論排除……、人びとは「平和は欲するが、この時局に至ればやむを得ない」と、「堰を切った」怒涛に流される。その道をかつて歩んだ。にもかかわらず、その事実の認識は人びとに継承され共有されているか、あやしくなってきた。