人間の顔に現れるもの、人間の心に潜むもの


 写真家で作家でもある藤原新也に、秋山訓子が質問した。その記事が載っている。
 「顔で政治家を判断できますか?」
 藤原は即答した。
 「顔っていうのは残酷なまでにその人の内面を表す。写真家ならシャッタースピードの2分の1秒もあれば判断できるかな」
 それならと、秋山は問いかける。参院選、投票する人を顔で決めるのはどうでしょうと。
 藤原は応える。
 「ただしプロの撮った写真はうそもつけるから写真で判断しないほうがいい。テレビ画像か、できれば生(なま)。無駄な情報が肥大している時代には感覚で情報処理をした方が効率がいい。
 できれば30秒くらいじっと見て、脳裏に刻みつけたらいい。6年後、同じ人が立候補していたら、それを思い出すのだ。変化もまた顔に表れる。6年がどんなものだったか、わかるだろうから。」
 話が前都知事舛添要一氏の辞任問題に及んだ。
 「彼を批判するタレントや評論家の人相も日増しに悪くなったと感じる。時間が経過し、舛添さんの表情や声が憔悴していく中で、人々の人相が批判からイジメモードに変わった」
 そこで秋山は記事をこう締めくくった。
 「それは、日本人全体かもしれない。政治家の顔を見て投票に行こう。その前に鏡をのぞいてから。」
 秋山訓子は朝日新聞編集委員
 「人々の人相が批判からイジメモードに変わった」、「それは、日本人全体かもしれない」。
 うーん、微妙だなあと、ぼくはうなった。多くの人が批判した。メディアも盛んに批判報道した。批判は当然だと思うし、どうしてこんなバカげたことを舛添氏は感じとれなかったのか不思議にも思った。
 その動きの中にいじめのモードが胚胎したという。顔にそれが現れていたという。
 一つの見方として、日本も不寛容社会になりつつあるという意見がある。今のイギリスやアメリカのトランプ旋風も、その国民感情が現れている。
 ヘイトスピーチをやっている人たちの顔の相はどんなだろう。憎悪や嫌悪の感情が顔に現れているかもしれない。他者の悲しみや苦しみに思いをはせて、その気持ちを共有し共に生きようとする感情や意識と、自己の城を守り同胞との繁栄を求め、「敵」をつくって排斥する愛国意識と、人はこの二つの間を揺れ動く。イギリスで、EU離脱に賛成した人が次々と国民投票後に、「こんなはずじゃなかった」と悔いているというのも、感情の移り変わりでもある。一面を見て判断してきたことが、別の一面に気づくことによって、誤りであったと変化する。かなり皮相的な考えと感情の変化だ。
 哲学者の柄谷行人が、憲法9条の根源について意見を述べている。(朝日6月14日オピニオン欄)
 安倍政権は解釈改憲して安全保障関連法を整え「海外派兵」できる体制を作った。しかし、9条は変えられない。このことは皮相的な判断や感情の問題ではない。実に人間の内なるものに由来する。
 「9条は日本人の意識の問題ではなく、無意識の問題だからです。無意識というと通常は潜在意識のようなものと混同されます。潜在意識はたんに意識されないものであり、宣伝その他の操作によって変えることができます。それに対して、私がいう無意識は、フロイトが『超自我』と呼ぶものですが、それは状況の変化によって変わることはないし、宣伝や教育その他の意識的な操作によって変えることもできません。フロイト超自我について、外に向けられた攻撃性が内に向けられたときに生じるといっています。超自我は、内にある死の欲動が、外に向けられて攻撃欲動に転じたあと、さらに内に向けられたときに生じる。つまり、外から来たように見えるけれども、内から来るのです。その意味で、日本人の超自我は、戦争の後、憲法9条として形成されたといえます。
 9条は確かに、占領軍によって押しつけられたものです。しかし、その後すぐ米国が、日本の再軍備を迫ったとき、日本人はそれを退けた。そのときすでに、9条は自発的なものとなっていたのです。おそらく占領軍の強制がなければ、9条のようなものはできなかったでしょう。しかし、この9条がその後も保持されたのは、日本人の反省からではなく、それが内部に根ざすものであったからです。この過程は精神分析をもってこないと理解できません。たとえば、戦後の日本のことは、ドイツと比較するとわかります。ドイツは第2次大戦に対する反省が深いということで称賛されます。が、ドイツには9条のようなものはなく徴兵制もあった。意識的な反省にもとづくと、たぶんそのような形をとるのでしょう。
 一方、日本人には倫理性や反省が欠けているといわれますが、そうではない。それは9条という形をとって存在するのです。いいかえれば、無意識において存在する。フロイトは、超自我は個人の心理よりも『文化』において顕著に示される、といっています。この場合、文化は茶の湯や生け花のようなものを意味するのではない。むしろ、9条こそが日本の『文化』であるといえます」
 そして柄谷の視点は、憲法1条と9条のつながりに行く。天皇制を存続させることと、戦争を放棄すること、すなわち1条の象徴天皇規定と9条の戦争放棄のセッティング。1条のためには9条が欠かせない。この先行形態は既に徳川の国制にあった。徳川体制における軍事力の放棄と象徴天皇制のセッティング。
 柄谷は、この憲法の価値をこう述べた。
「私は、9条が日本に深く定着した謎を解明できたと思っています。それでも、なぜそれが日本に、という謎が残ります。日本人が9条を作ったのではなく、9条のほうが日本に来たのですから。それは、困難と感謝の二重の意味で『有(あ)り難(がた)い』と思います」

「9条こそが日本の『文化』である」、この文化は、江戸時代から始まっている。江戸時代260年が醸成したいろんな文化は、戦争のない平和な社会だからこそ生みだせた。そして第二次世界大戦後に9条という新たな文化を生んだ。
 EUも第一次、第二次の世界大戦を経て、戦争のないEUという理想をかかげ、その理想実現に向けて実働を始めた結果として生まれた。だから、これから長い時間をかけて困難を克服していけば、新たな文化として結実してくるはず。日本も憲法9条という文化を内在化させ、理想の道を歩んできたのだから。
 なるほどと思う。視界が広がった感じがする。