巣を去ったキツネ、焼かれたイチョウ

 一枚の田んぼを大きくして、畔や農道を整える圃場整備が地元で行なわれている。我が家の東側はこの春完了し、秋から西側が始まる。ところが、すでに整備された稲田の中に、長年耕作放棄されて草がぼうぼうと生え、古タイヤや古ドラム缶が捨てられている2000平方メートルほどの土地がある。周囲がみんなきれいに整備され、新しい道もつけられたけれど、土地の所有者は圃場整備の企画に加わらなかったから、ここだけが荒れ地のままに残された。
 これまでススキなどの背丈を越える草が茂っていたそこは、周りが整備されて新たな農道もついけられたから、荒れ地が露出してしまった。そうなると所有者も荒れ地のまま放置するわけにいかず、最近草を刈り、枯れ草を焼き払った。
 すると今まで人目につかず、隠れていたものが現れた。古タイヤや古ドラム缶だけではない。荒れ地の南の端に、土がこんもり高くなっているところがある。ランと毎朝歩いていて、そのことには気がつかず、見れども見えずだったのだが、それは、大きな土盛りの箇所にいくつも大きな穴が開いているのだ。
「キツネの巣穴だ」
 土盛りの周囲に五つほど、あっちの穴も、こっちの穴も、キツネがもぐりこめる大きさの穴は野生の気を放っている。それらは土中のトンネルでつながっているらしい。
「キツネの家族はここに住んでいたのか」
 草が生い茂っていたときは、巣はカモフラージュされていた。ここには人も近よらず、だからキツネは安心してねぐらにし、子どもを育てた。
 以前から、この辺りに巣があるということは知っていた。朝、山からキツネがこの辺り目指して矢のように走るのを何度も見ている。草むらから出てきた子ギツネたちが遊んでいるのを遠くから見たこともある。キツネは夜中に、この辺りをテリトリーにして餌を探しまわっていた。我が家の前の草むらにキジが巣をつくり、卵を産んで温めていたとき、夜中に親ギツネが襲って親鳥を餌食にしてしまったこともあった。キジの巣をのぞいたら、親鳥の羽根が散らかり、卵だけが残されていた。キジがこんな人家の近くに巣をつくったのは、キツネから身を守るためではなかったかと思う。親鳥が巣をはなれている間に、ぼくは巣の周りに草を積んで防護してやろうと工夫したが、キツネにとってはそんな浅知恵は効き目がなかった。
 近所に住んでいる画家の佐々木さんは、その卵を持ちかえり、ダンボールに入れて温め、卵を孵した。雛たちはキジを保護する関係機関に引き取られた。雛は大きくなってから野に放たれただろう。

 キツネはこの冬も、餌を探して我が家の庭にやってきていた。庭にはたくさんのネズミ穴があり、モグラの穴をねぐらにしていた。
 耕作放棄地のこのキツネの巣穴は丸裸にされ、キツネは巣を放棄して去っていった。

 荒れ地の草が焼かれた後、もう一つ発見があった。
 北側の端に、木の半分が焼け残った木が1本、ひょろひょろと立っている。木の南面の葉が梢から根元まで焼けて茶色になり、残りの北側の葉は緑のままに生き残っている。ランと散歩していて、この樹は何だろうと近づいてみると、イチョウの葉っぱをしていた。
「こんなところにイチョウの木があったのか」
 イチョウの木があるなんて、ススキが原の茂みに隠れていたからよく分からないでいた。体の半分を焼かれたイチョウ、それを見ると自分の体に痛みを感じた。
 この地区の公民館に付随した公園に、ぼくは3年前イチョウの苗木を植えた。それは我が家の庭で芽を出して、すくすく伸びてきた三本のイチョウだった。十数年前、公民館と公園がつくられたとき、植えられた広葉樹のうち三本が途中で枯れてしまい、株の跡が三箇所残っていた。そこに我が家のイチョウの苗木三本を持っていって植えた。
 我が家の庭にそのイチョウが芽を出したのは、ギンナンの実を土に埋めていたからだった。穂高地区の八幡神社のある集落に大きなイチョウの古木があり、秋にたくさんのギンナンを道に落とす。それを拾ってきて庭の土に埋めたのだった。すっかり忘れていたが、三本の芽がひょこっと出ていて思いだした。
 イチョウの芽は元気に育ちはじめた。この木は我が家で大きくしようかなと思いもした。が、イチョウが大木になったら家の軒にぶつかってしまう、どうしよう、公園なら思う存分大きく育つことができるだろう、それが公園移植になったのだった。今は人の背丈ほどに育っている。最近も剪定に行って、周りの草を刈ってきた。三本のうち一本は枯死していた。
 公園の二本のイチョウは健やかだが、この荒れ地のイチョウは火に焼かれた。いずれ切り倒されるだろう。切り倒されるまでに、このイチョウを救いたい。半分緑の葉が残っているから、元気を取り戻すことはまちがいない。
 野に立つ一本の
 大イチョウになれよ。
 田んぼのなかに立つ、
 一本のイチョウ
 一つの美しい風景よ、
 生まれよ。

 土地の所有者にそのことを話して、お願いしよう。そう決めて早速動いた。朝、秀武さんに会う。イチョウの話をして土地の持ち主を教えてもらった。持ち主はぼくも知っているTさんだった。
「古タイヤやドラム缶やら、こういうのを放置すると不法投棄を招く恐れがありますよ」
「そう、夜中に持ってきて捨てていくのがいるからね」
「私、奈良に住んでいた時、あんな歴史的な場所でも、山のなかへ不法投棄しに来るんですよ。金剛山の谷間に、冷蔵庫やテレビや、いろんなものを捨てに来るんです。ゴミを捨てるとゴミを呼ぶ」
「ここも同じだね。常念岳のほうへ上がっていけば不法投棄してあるね」

 日が高くなってから、カンカン照りのなか自転車をこいで行く。今日は早くもすごい暑さだ。ちょうど荒れ地の隣りを草刈りしているNさんが、小屋の日陰で休んでいた。いきさつを話をしたら、荒れ地になったわけを話してくれた。
 Tさんの家に行くと、奥さんがトマトの選別をしていた。いきさつを話し、
イチョウを救ってください」
 と頼めば、奥さん、
「いいよ」
 笑顔で快くイチョウを救うことを受けてくれた。
「半分、燃えたけれどね。生きると思うよ」