森の国の春



SPRING、
北の国の
春、五月、
長い冬の眠りから覚めて、
大地から湧きあがる泉(SPRING)、
バネ(SPRING)のごとく跳ねあがり、
木々は芽吹き、花咲く。
 まったく予想イメージをはるかに超えた。この壮大な平原の森、聞きしに勝るここは森の民の森の国だ。

 機は果てしなく広がる森のなかの空港に着陸した。昔、青年時代、モスクワ空港に着いた時は、シラカバ林が滑走路を取り巻いていて、北アルプスで親しんできた白い幹のお出迎えに胸の高鳴る思いがしたものだが、今降り立ったこの大地は、濃緑の針葉樹と浅黄を交えた新緑の広葉樹が深々とあふれんばかりの森だった。都市に通じる高速道路も森の道だった。タクシーのドライバーが、途中の森の中に人や車が集まっているところを指さして、「フォレストのフェスティバルが開かれているよ。店も出ているよ」と言った。三十年戦争(1618~1648)や第一次・第二次世界大戦などの森林破壊は過酷だったが、樹木を愛するこの国の人々は営々と森を再生してきた。森なくしては生きられないゲルマンの民族は大平原のいたるところに森をつくり、森を歩き、都会も村も家々も樹林のマントに包んだ。木々は梢高く、自由に天を目指しうっそうと茂る。ほとんど広葉樹で、奥の方にモミやトウヒなどの針葉樹も見えた。木の種類の比率は広葉樹が7割ぐらいに感じられた。

 街に入ると、植える空間のあるところには樹が優先して植えられ、街路樹は誇らかに茂り花が咲く。ライラックマロニエが咲き、木と花は街を柔らかく豊かに包んでいた。長い冬が過ぎて待っていた春、五月よ、五月。


 ハイネはこんな詩もつくった。


   つぼみ ひらく
   妙なる五月
   こころにも
   恋ほころびぬ


   鳥歌う
   妙なる五月
   よき人に
   思い語りぬ
       (井上正蔵訳)



 長くこの森の国に暮らした小塩節は書いていた。
「木々の花がいっせいに咲く。リンゴ、、アンズ、桃、チェリー、スモモ、洋ナシの花が、全国土でいちどきに咲く。ありとあらゆる花が、大地いっぱいにそろって咲き匂う。ぼだい樹の白い花には、蜜蜂が飛び交う。木々の枝がしなうほどに咲く花が、どの一輪も明確で、さわやかな存在なのだ。ああ、これは日本の信州と同じだ、と私はいつも心に叫ぶ。それは木や草だけではない。そこに住み育ち働いて死んでいく人びとの、生全体のあり方にも通じているのではないか。人間一人ひとりの自立した個性、意志、自己表現。欧州アルプスの北の国々で求められるこういう人間性の価値は、日本人一般にはなかなか求めがたい。それが日本でもいつの日か自然に育つ時が来るだろうか。」


 街の広場にマイバウム(五月の樹、メイポール)と呼ばれる樹の柱が、高々と立てられ飾られていた。それはヨーロッパの五月祭、古代ローマの祭に由来する、豊穣を祈り春の訪れを祝う祭りだという。青空の下、マイバウムを囲むように、野外のビヤガーデンがにぎわっていた。昼の日中、春を喜び讃えて、人びとはビールを傾ける。
マイバウムは、信州諏訪の御柱を連想させた。八が岳からモミの大木を伐り出して、神社に立てる、御柱祭も春の祭りだった。