NHKスペシャル「決断なき原爆投下〜米大統領 71年目の真実〜」を観た

 思いこんでいたことは事実ではなかった。奈良と京都が空襲から免れたのは、アメリカが日本の歴史的古都を破壊しないようにしたからだと、聞いたことがあり、ぼくはそれを事実だと信じてきた。先日のドイツの旅の記録でも、ぼくはこう書いた。
 「この中世都市(ローテンブルグ)も戦時中に連合国軍の爆撃を受け、城壁の一部や市街地は空爆によって破壊された。被害が完全破壊に至らなかったのは、歴史的重要遺跡の価値を認識していたアメリカ軍司令官の想いがあったからだという。歴史的遺産の日本の京都や奈良が空爆から免れたのと同じ計らいが完全破壊を防いだ。」
 ところが京都も空襲を受けていて人が亡くなっていたという。けれども大規模でなく被害は少なかった。
 8月6日に放送されたNHKスペシャル「決断なき原爆投下〜米大統領 71年目の真実〜」を観て、実は、原爆投下計画の第一目標は京都だったということを知った。京都は、周りを山で囲まれていて、8月時点ではあまり空襲被害を受けていない。そこに原爆を落とせば効果がどれだけあるか分かる。一方、奈良については、こんな記事を見つけた。(「南都の匠 仏像再見」徳間書店
 <1945年、奈良のお寺と仏像がいつ爆撃に会うか分からない状況が迫ってきて、ひっそりした山の隠れ寺へ疎開させることが行なわれた。三月堂の仏像を牛車に寝かせて南の正暦寺まで運んでいると艦載機が飛んで来て銃撃された。仏像疎開吉野山へも行なわれた。>
 NHKスペシャル取材班はアメリカにある膨大な記録を調査し、学者からも取材している。トルーマンの日記も読みこんでいた。その結果、いくつも隠されていたことが判明した。トルーマン大統領は、原爆を投下することを自ら決断せず、軍部はそのあいまいさの上に立って「大統領は認知した」として実行に移し、大統領はそれを追認していたのだった。第一目標の京都爆撃については、大統領は認めなかった。そこで広島長崎への原爆投下となった。後に惨状を知ったトルーマンは原爆を投下したことを後悔し、その気持ちを日記にしたためていた。
 無差別爆撃の極致ともいうべき原爆の使用は、後にアメリカの行為をナチスヒトラーをしのぐものとして国際的非難を受けるであろうことを恐れ、「原爆投下は戦争を早く終わらせ、本土決戦での日本人の命や数百万の米兵の命を救った」という弁明をつくった。それは後から作られた「物語」であった。
 原爆投下のまえに、すでに戦略爆撃機による甚大な被害を日本の全国の都市が受けている。東京は九か月間で4900機の爆撃機によって四十万発の爆弾を投下され、十万人が死んでいる。日本の戦争遂行能力は既に実質喪失していた。結局原爆投下の目的は、作った以上はそれを使って能力と効果をみようということにあり、そして参戦寸前のソビエトへの対策と戦後世界への計算と備え、さらにアメリカ国内の世論への計算などがあったのだろう。
 原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”というのは、作られた目的だった。
 戦争の陰には隠された秘密が今も残っている。それを白日のもとにさらけ出すジャーナリストの地道な気の遠くなるような仕事を見る思いがした。