人びとの中の「古層」

 ドイツを指すジャーマン・GERMANをドイツ語で発音するとゲルマン。
 原始ゲルマン人は土地共有性を実施し、自給自足的村落を形成したそうだ。霊魂崇拝、自然崇拝が行なわれ、彼らの神は森の中に住んでいた。だから今もドイツ人は森の民。霊魂崇拝、自然崇拝、これは日本に似ている。日本はアニミズムで、山にも森にも川にも木々にも神がいた。
 原始ゲルマン人の現住地はスカンジナビアからバルト海沿岸の地だった。やがてゲルマン人はいろんな民族との相克・融合、支配・被支配を繰り返し、EUの国々をつくり現代にいたっている。
 ヨーロッパ歴史学樺山紘一は、「歴史の古層」「歴史的な基層」という言葉を使って、記録にも遺跡にも残ってはいないが、現代にいたるまで人間のなかに潜んでいる「記憶」があると、こんなことを述べている。
 「人間の中の記憶というものは100年、200年の長期波動で築かれていったもので、これが人間社会をつくりあげる決定的な力を果たしたに違いない。こうしてでき上がってきた記憶体系というものが、どうやって共有されて、どうやってそれ以後に導入されたものとの間に関係を取り結ぶのか、こういうことを考えるのが、本来の歴史学だと思う。」
 記録に残っていない先史の時代の人びとの生活、社会を結んだ人びとの知られざる歴史があり、そこには自然と人間、異民族同士の交流、融合があって、そこから生み出されてきた記憶がある。それが「歴史の古層」「歴史的な基層」であり、今も隠れて存在している。ところが、19世紀になって、ナショナリズムが政治と結びつくと、民族の純粋性とかいうファンタジーがつくられ、「歴史の古層」「歴史的な基層」がないがしろにされて、純粋なゲルマン民族というような誤解体系がつくりあげられてしまった。そして純粋なドイツ人とか純粋な日本人とか唱導されて、ドイツではユダヤ人への迫害になった。歴史を考えれば、「純粋」なんていうものは考えられない。
 樺山氏と対談している生命誌研究家の中村桂子氏は、「純粋なドイツ人とか純粋な日本人とかは存在しないということは、ゲノムの研究からも言える。ゲノムには記憶には残っていないものも、そのことが記録されている」(「ゲノムの見る夢」青土社)と言う。

 「ゲルマン人やローマ人が来る前に、ヨーロッパには人が住んでいた。だからストーンヘンジみたいなものができた。クロマニヨン人は5万年前にいて、そのときからヨーロッパ人がおり、ヨーロッパの自然と付き合っていたはずで、今のヨーロッパ人はその子孫だ。5万年も8万年もかかっているから生物学的には子孫としての要素はきわめて薄いかもしれないが、ヨーロッパの自然の中で生命を営むという生活体系に関して言えば、戦争があろうが疾病があろうが何らかの形で記憶として受け継がれているにちがいない。」
 人間が支配するようになって、多くの生物の種が滅んだ。日本ではオオカミが絶滅し、ヨーロッパの森にはサルがいない。
 「200年前まで、ヨーロッパはかなりの部分、森林だった。人間の中に深い森があった。魔女とか妖精とかが棲んでいた。今でもヨーロッパの人の心には妖精が棲んでいる。イギリス人は特にそうで、窓の桟とか、鴨居とかに必ず妖精がいるから、窓はまたいではいけないと子どもに教える。」

 日本がヨーロッパを知らないのは、日本がヨーロッパ文化を取り入れたのが20世紀につくられたものだったからで、「ヨーロッパの古層」が入ってこなかった。
 「日本人はアニミズムだと言うけれど、ヨーロッパ人もきわめて長い間、アニミスティックな世界に生きている。ヨーロッパ人は、古層の上にヘレニズムを接合した。イスラムもそうした。ビザンチン、東ヨーロッパ世界もそれぞれのやり方でそうした。」
 人間の古層をたずねるという学問はおもしろそうだ。旅をしながら、空想をたくましくし、妖精の世界にも遊んでみたい。
 ドイツでもオーストリアでも、お店に行くと、妖精の人形が売られている。家内は、魔法使いのおばあさんの人形をインスブルッグで買って日本に持って帰ってきた。部屋の壁にかかって、いつもぼくらを見ている。