人類への予言

 「いつか森の中で」(草薙渉作 読売新聞社)という小説を読んだ。1995年に出版されたものだが、最初の部分を読んだだけで放置したため、長く書棚に眠っていた。それを何の気なしに手に取り読んでいくうちに、これは人類への予言のように思えてきて、ストーリイが大転換するところから一気に読んだ。
 物語の最初にこんな文章がある。

「1951〜60年に、米国コロンビア大学のR・S。ソレッキー教授によって、北部イラククルド地方のシャニダール洞窟で八体のネアンデルタール人の人骨が発掘された。遺体は屈葬の状態で埋葬されており、その中には明らかに障害者とわかる人骨も含まれていた。とりわけその第四号人骨からは八種類の化石化した花粉がかたまって検出され、彼らが死者に花をたむけ、集団内に弱者を扶養する穏やかな人類であったことが検証された。
 解剖学的にも、現代人のわれわれと同等か、それ以上の脳容積を所有していたネアンデルタール人‥‥。彼らは、その発達した大脳にすでに豊穣な形而上学的世界をもって、旺盛な潜在意識での交信術を進化させながら、おおよそ六万年のあいだをこの地上で平穏に暮らしていた。が、ウュルム氷期(第四氷期)の、今から三万五千年ほど前に、その彼らが突然絶滅した。
 そんな彼らと入れ替わるようにして、大脳の前頭葉を極端に発達させた、下等だけれど闘争意識の強いクロマニヨン人が、この地上に急激に蔓延しはじめた。そしてこのクロマニヨン人こそが、現在のわれわれの直接の祖先となった。」

 小説は、この文章から始まり、仲間たちが協力して狩りをする場面に入っていく。彼らはネアンデルタール人と思われ、森の洞窟に住む。「旺盛な潜在意識での交信術」と作者が書いているように、フィクションでも今の言語とは異質な、遠い人とも交信できる能力を発揮して、彼らは狩りをし、助け合い、分かち合いながら生きている。
 この小説の「途中、ストーリイが大転換するところ」というのは、クロマニヨン人と思われる人間の出現である。突然現れた彼らは弓矢という武器をもって、この穏やかな人間たちを発見するや、殺し、奪い、犯し、そして絶滅に追い込んでいく。あげくのはてに彼らは、集団・部族の違いで殺し合いを始め、戦争をする。
 滅びゆく最後の場面に、マヒルノリュウセイという名の男の思いがつづられる。

 「≪われわれの種族は絶滅するけれど≫と伝えたアメアガリノカゼの声が聴こえた気がした。
 ≪われわれは、決して淘汰するわけではない≫」

 アメアガリノカゼは既に殺されていた。マヒルノリュウセイは思う。

 「アメアガリノカゼは、生命は空からと来た言っていた。人や獣や昆虫や、鳥や魚や木や草や花のように、さまざまな種に繁茂したけれど、その生命を継続していこうとする意志こそがすべての種に共通しているのだ。」

 物語には、侵略してきた新人の乙女に恋をし、結ばれる話も出てくる。その後は書かれていないけれど、彼らの生命は受け継がれていくことを暗示する。
 物語を読み進めていくにつれ、三万五千年ほど前のできごとが現代の世界で今も行なわれていると感じられてくる。「下等だけれど闘争意識の強いクロマニヨン人」の子孫が現代の人間だとすれば、人間は進化してきたのか、という問いが浮かぶ。


 人類の遠い歴史を研究する学者たちの学説では、旧人ネアンデルタール人は、新人ホモサピエンスクロマニヨン人を含む)と競う能力が無かった。2つのグループが対立した場合、より発達した文明を持つグループが相手を侵略し征服した。狩猟技術やコミュニケーション能力、環境適応能力を持っているものが勝った。ホモサピエンスの出現が、ネアンデルタール人の絶滅につながったのだが、ネアンデルタール人の遺伝子は受け継がれた。先祖がアフリカ以外の起源を持つ人たちは、ほんの少しではあるネアンデルタール人のDNAを持っている。ホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカ大陸から移動を開始して世界各地に広がって行く過程で、当時まだ生存していたネアンデルタール人と交配を繰り返した。現代のヒトが持つゲノムの中には、ネアンデルタール人に由来するDNAが1%から4%の割合で含まれている。