未来の子どもたちへ

 果樹園に囲まれたゴミ・産廃処理施設の前を通る。山麓線という道路だ。西に山が迫り、セミの声も聞こえる景色のよい山麓線は観光客も好んで使う。東側には果樹園と畑が広がる。
 道路際に建てられたゴミ処理施設は、近隣の農家に、臭気、騒音、粉塵、風評などの被害を与え、地下水汚染も心配されている。住民の反対運動が起こったのは9年前だ。
 住民への直接被害とともに、安曇野の景観と人の精神に与える影響を憂える。
 企業は、住民を無視し続けている。
 行政もまた企業に加担し、同じように住民を無視している。
 行政がこの9年間やってきたことは、住民運動を敗北に追い込むことだった。農業をやりながら裁判を含む反対運動を展開してきた地域住民の精神的な苦痛は大きい。住民の行政に対する不信感は深くひそんだまま、諦めに近い感情が生まれている。しかし諦めはしない。

 議会は50代から70代の人びとで占められている。地方政治の世界にも見えない権力構造が動いている。国と同じように。

 国の政治と地方の政治と、相似形のように思える。日本の政治だから当然のことかもしれない。
 国では、原発推進が動いている。福島原発の被害が今後どのようになるか想像も出来ないにもかかわらず、政府は推進ムードだ。全国の原発の核廃棄物は膨大で、いま核のゴミは何万トンになるか。その処理方法も存在しない。福島原発から漏れ出る放射能汚染水の処理は絶望的だ。
国も地方も、政治家たちは未来を見ようとしない。未来の子どもたちを考えれば、即原発を廃止しなければ、未来社会はない。
 安曇野市を変えよう。
 原発をやめよう。

 まずは地方から。 
 望三郎君は決意した。そこに若い力が集まっている。
 ママたちが動いている。政治を変えよう。
 この動き、なんと表現できるか。彼らは鬱屈した情況を突き抜けるものを見つけたいと思っている。
 彼らは未来を見ている。小さな子どもたちを育てるママは、希望を見ている。
 東日本大震災原発の被災地から移住してきた人もいる。
 自分の頭で考え、自分の足で歩き、ボスや権力になびかない
 なれあいを拒否する。ずるさ、欺瞞にくみしない。

 久しぶりに見る、
 なつかしい、若い人たちの風。
 風よ、吹け。吹き起こせ。
 老人の
 風も吹け。
 未来の安曇野、未来の日本、
 希望のもてる安曇野、希望を抱ける日本、
 市民の風、巻き起こせ。