続・冠松次郎と黒部

 「黒部の上の廊下、下の廊下、奥の廊下」の「廊下」というのは、黒部の深い谷の、絶壁が両岸にそそりたち、あたかも山の中の廊下のようになっているところのことを指す。「上の廊下、奥の廊下」は平(だいら)という所より上流、すなわち今では黒部湖より上の部分で、「下の廊下」は黒部ダム下流になる。
 黒四ダムは1963年に造られた。それまでの平は黒部峡谷の中でも広びろと開けていて、別天地の趣があったが、ダム湖の下に沈んでしまった。ダムが出来ると、山小屋・「平の小屋」はなくなり、湖のほとりに、新しい山小屋が造られた。
 黒部峡谷をはさんで、東側に後ろ立山連峰が連なり、西側に立山連峰が連なる。黒部ルートができるまでは、信州の大町から富山側に行くには、まず北アルプスの峻険・後ろ立山連峰を越え、つづいて黒部峡谷を渡り、次に立山連峰を越えなければならなかった。黒四ダムが出来て黒部ルートが生まれ、富山側からバスとロープウェイ、信州側は山を貫くトンネル内を走るバスでつながり、観光客を運んでいる。
 経済成長とともに開発の波は山岳地帯におよんだ。開発の名による破壊、冠松次郎は、そのことに深い憂いと憤りを感じていた。黒部に、そして黒部に劣らない奈良和歌山三重の峡谷に、命をかけてきた彼はこんな詩を書いた。詩人ではない彼の詩は、そのまま彼の気持ちの発露である。


      (一)
   美しい渓が つぎつぎに
   こぼたれて行くのを見ると
   私は惜しみ悲しむ
   わが国にかけがえのない
   美渓や雄峡が
   ありし日の面影を変えて
   まんさんと みすぼらしい姿を横たえて
   私の前に慟哭している様を見ると
   ほんとうになさけなくなる
   これが文化の恩沢であろうか
   開発の恵みなのか

   黒部川 北山川
   廊下がその真髄であった黒部峡谷
   トロが風景の生命であった北山峡
   ともにもはや昔日の面影はない
   風景日本は 自然美を誇るわが国は
   その中心地帯で破壊されつつある
   こういう大きな自然美の存亡に
   深い関心を持っている
   大政治家が 大哲学者が
   わが日本にはいないものか

    (二)
   人造湖の底に埋められた
   黒部川中ノ瀬の美観を
   在りし日の面影を顧みると
   私は憮然とする
   死児の齢(よわい)を数えるに等しいが
   かつて幾度も歩いていた私には
   その頃が無性になつかしい

   雄山谷を中心としたあの大きな渓観
   銀砂のような川口洲の上にキャンプして
   幽林を眺め立山東面の美しさを仰ぎ
   私は得意であった
   御前谷の瀑布の深邃も今はない
   平を中心とした静かな川瀬
   かつてあった籠渡しを私は思い出す

   平から上流の東沢に至る間の清流
   岸辺まで枝葉をのばした闊葉林
   川洲の上を並ぶようにして川風に揺れる
   榛(ハン) 楊(ヤナギ) 唐松(カラマツ) 白樺の細長い林の列
   新蔭のころ 紅葉時には すばらしいところだった
   緑陰の下を美しいトロが
   静かに移っていくのもよかった

   こういう美渓が
   心ある政治家によって
   保護保存されていたならば
   百年千年の後の日本の風景に
   その風景の中心として
   家宝のような光彩を放つことは
   疑いのないことと思う


     トロとは川の水が深く、ゆったり流れているところ。