冠松次郎と黒部

 23歳のときから4年間、夏に山のパートナー北さんと二人で黒部川の上の廊下から源流までを完登することに挑戦した。一回目の夏は、針ノ木峠を越えて黒部川に下り、そこから上の廊下を登る。まだ黒四ダムができていなかった。上の廊下には道はなく、両岸が絶壁になると、水流渦巻く黒部川を足下に見ながら、その壁をへつり、絶壁がなくなると川原を歩き、激流を渉り、淵に出会うと泳いで上流へと登っていく。最大の難所、上の黒ビンガの壁を越えることができず、撤退。2回目は源流から下り、このときは台風が来るということで途中で金作谷を登って薬師岳頂上に出て逃げる。3回目は下の黒ビンガは成功したが、またも上の黒ビンガで行く手を阻まれ、滝つぼの下まで泳いで滝を乗り越えようとしたが失敗、強烈なブッシュ漕ぎをして赤牛岳に逃げる。4回目は、源流の支沢を探索し未踏ルートを開いて雲ノ平に出た。それからしばらく上の廊下に入らなかった。完全下降に成功したのは、数年後、元矢田中学登山部だった雨包と中の2人をつれて、8月の渇水期に下降したときだった。
 黒部を愛した男、冠松次郎の著作をこの頃愛読した。冠松次郎は、黒部峡谷をくまなく歩き、急峻な谷を攀じた。ぼくらは冠松次郎に触発されて黒部に入った。
 詩人・室生犀星が、昭和の初期に、冠松次郎に贈る詩をつくっている。


    廊下を下がる蜘蛛と人間、
    冠松は廊下のヒダで自分のシワを作った。
    冠松の皮膚、皮膚にしみる絶壁のシワ、
    冠松の手、手は巌をひっかく。
    冠松は考えている電車の中、
    黒部峡谷の廊下の壁、
    廊下は冠松の耳元で言うのだ、
    松よ、冠松よ。

    冠松は行く。
    黒部の上の廊下、下の廊下、奥の廊下、
    鉄でつくったカンジキをはいて、
    鉄できたえた友情をかついで、

    剣岳立山、双六谷、黒部、
    あんな大きい奴がよってたかって言うのだ、
    冠松くらいおれを知っている男はないというのだ、
    あんな巨大な奴の懐中で、
    粉ダイヤの星の下で、
    冠松はいびきをかいで野営するのだ。