別れを惜しむ

 「8月7日の深夜、2時半に帰ります。9時の飛行機に乗ります」
 公民館での日本語学習のとき、王さんはそう言った。4日の日曜日だった。それを聞いたぼくの頭は回転せず、7日の深夜? 2時半に出発? それから名古屋空港まで送ってもらって、9時の上海行きに乗る? どういうこと? 時間の流れがすぐに飲み込めない。何度か聞き返して、王さん、ちょっと困惑した。要するに7日ではなく、8日の午前2時半に寮を出て、空港に向かい、午前9時の飛行機に乗るということだった。午前2時半という深夜、それでは見送りに行くことができない。
 3年間の日本での労働と生活を終え帰国する王さんと董さん、働きながら日本語の勉強に精励し、日本語能力検定2級は合格したが1級は惜しくも数点の差で不合格になった二人だった。
 4日の日本語教室での終わりの会で、ぼくも別れの挨拶をした。
 この3年間の日本での体験は、あなたがたの人生を通して強く生きつづけるでしょう。大きな大きな体験です。国と国とがぎくしゃくしても、私たちの国民同士の関係は崩れることなく、仲良い関係を保ち続けましょう。
 そういう意味のことを言ったとき、王さんはすかさず声を挙げた。
「国と国がどうであっても、私たちは変わりません」
 大きな生きる原動力となる3年間の体験、ふるさとに帰れば、新しい人生が始まる。
 日本語教室でのお別れ会はやったけれど、やはり最後の別離の日は、別れを惜しみたい。そう思って頭に描くものがあった。ところが暑さのせいか年のせいか、日にちまでころりと間違ってしまって、思い描いていた計画はいずれも実現させることができなかった。
 二人に電話を入れたのは7日の夕方だった。ルルルル、呼び出し音が鳴りつづけるけれど出てこない。どこかに出かけているのだな、と思い、明日また電話しようと決めた。その時点でぼくは日にちの錯覚に陥っていた。が、それに気づいていない。明日二人はまだ日本にいると思っていた。
 そして翌日昼前に電話する。今日は最後の日だから寮にいるだろう。ところがやはり呼び出し音のむなしい響きが聞こえるばかりだった。昨日から今日、きっとどこか最後の旅行でもしているんだろう、と思っていた。
 錯覚に気づいたのは夕方だった。今日は8日ではないか。えっ、8日? それなら彼女たちはもう朝に名古屋空港を発ち、今ごろはもう故郷に帰っているかもしれない。なんという間違いをしていたんだろう。ぼくは住人のいない部屋に電話をしていたんだ。がらんとした空き部屋に電話が鳴り響いていたのだ。
 そのことに気づいたとたんに、惜別の感傷は消滅し、二人はもう新たな世界の住人として現実を生き始めているのだという感情がわいてきた。日本で体験してきたことは記憶の世界になったのだ、という意識の切り替わりだった。
 あっけない思いがした。いつもどこかに気をおいている、気にかけている、そういう存在の人たち、その人たちはこういう、もう元に戻ることがない、という結末によって、別次元の人となってしまうという思いだった。
 この世を去っていった人との別れ、哀惜の念の別れにも、この意識の切り変わりがある、人間はそういうものだと思った。