今日は「三九郎」


 今日の日曜日は、忙しかった。午後1時まで松本市で仕事をして、それから移動して安曇野スイス村のホールへ行き、安曇野市成人式会場で早春譜合唱団の一員として歌う。次いで地元に走り、地区の「三九郎」を見守る。そして夜は公民館の日本語教室。
 「三九郎」の点火は午後3時の予定だ。燃え上がりには間に合うだろうと思っていたのだが、合唱の発表が遅れた。成人式は新成人がホールにぎっしりつまり、お祝いの立食パーティだ。わいわいがやがや、合唱はバックグラウンドミュージックだ。聴いてなんかいない。スイス村を出た時は点火の時間を大幅に過ぎていた。家に向かって車を走らせていると、西の空に煙がすでに高く上がっているのが見えた。あの煙は、うちの地区の「三九郎」にちがいない。今日はあちこちの地区で「三九郎」が行なわれているはずだが、方角からすればあの煙がうちの区のものにまちがいない。煙の色や煙の拡散状態を見ると、「三九郎」はもう燃え終わりのようだぞ、そんなことを思いながら「三九郎」の行なわれている地元の公民館の下の田んぼに着いた。予想通り、「三九郎」のやぐらはきれいに燃えつき、おき火の周りに子どもたちの輪ができている。熾き(おき)の周りの子どもたちは、まゆだま団子を焼いていた。あぜに停められた軽トラックの荷台では、小学校のPTAのお母さんたちがトン汁を配っている。地区のPTAの会長をしているお母さんが、ぼくを見てトン汁を一杯いれてくれた。斎藤農園の実習生、スペインから来たマリオ君も見に来ていたから、声をかけると、北海道の札幌雪祭りを見に行く計画だそうだ。一人で行くという。まだ日本語はあまりしゃべれない。寒いから温かい服装で行ったほうがいいよ、と言うと、着ている薄い防寒着を指でつまみながら、この服装で大丈夫だという。そこで脅してやった。マイナス30度のところもあるよ。けれど、実感がないからか、顔に真剣味がない。「三九郎」に来ている子どもや大人は、30人ぐらいだった。子どもたちは、朝から各戸回って、しめなわ、松飾りを集めてきて、それを「三九郎」のやぐらの中に入れて燃やした。
 夜、日本語教室へ車を走らせていくと、「三九郎」の熾きから火が上がっていた。闇の中に人影が見えた。最後の火の始末をしてくれている人がいるんだなと、この行事でも縁の下の力もちがいて、成り立っていることをしみじみ感じた。
 数日前、「子ども会だより」に次のような文章を書いて回覧とチラシにして配った。
      ★     ★    ★
 「三九郎」だよ! 子どもの火祭り!
   子どもも大人も集まろう

 <三九郎とは>
三九郎は、正月かざりやダルマ、書初めなどを焼いて、今年も元気に暮らせるようにと願う、子どもの火祭りです。三九郎という名前は中信地方だけで、その由来についてはいろいろ説があり、はっきりしたことは不明です。全国的には「どんど焼き」「左義長」などと呼ばれ、300年以上の歴史をもつ日本の伝統行事です。

 <昔の三九郎>
昔の三九郎の話を、おじいさんやおばあさんに聞きました。昔は、子どもらで山に入り、木を切ってきて、田んぼの中に組み立て、そこにワラ細工の正月飾りや門松、書初め、ダルマなどを取り付けました。そして子どもたちは中に入って「基地」のようにして遊びました。ときには、他の地区の三九郎を攻めたり、攻められたりして、自分たちのつくった三九郎を力を合わせて守ったそうです。そして夕方、大人や青年が見守って火をつけました。昔はまた、各木戸で三九郎を行ないました。扇町のなかでも、あちこちで行なわれました。それが今は一つになって行なわれます。

 <現在の三九郎>
三九郎の日は、子どもたちは、朝からしめなわ、まつかざりを集めて回り、三九郎を組み立てます。それから公民館に集まってお楽しみ会をし、カレーライスを食べて「まゆだま」の団子をつくります。まゆだま団子は、ヤナギの枝にさして、三九郎が燃え終わったら、残り火で焼いて食べます。友だちと並んで団子を焼くのは楽しいです。団子を食べると、元気な子どもになると言われています。