「いちばん受けたい授業」と「感動する授業」<授業を創造する先生たち>


 世の中には、実にユニークな、楽しい授業を創造している先生がおられるものだ、と感心する。朝日新聞社の記者が授業を取材した「はなまる先生」の本が2冊出ている。書名は「いちばん受けたい授業」と「感動する授業」で、前者には76人の教師の授業、後者には64人の先生の授業が掲載されている。いずれも小学校の実践である。新聞掲載された260余人の中から選ばれたもので、新聞記事という字数の制約があって、ルポそのものには不十分さ、物足りなさがあるけれど、一人ひとりの先生の授業にかける思いや、打ち込む姿は伝わってくる。こういう教師が育ち、こういう授業が展開できる学校が存在しているのだ。その授業の背後に連なる教師たちの存在も感じられ、戦後日本の豊穣な民間教育研究団体の実践がそれらの源に潜んでいるであろうことも想像できた。日本の学校教育の展望はこのような実践から生まれてくる。
 ある先生の授業では、子どもたちは日本民謡の「木曽節」を歌っていた。東京の小学校、6年生の音楽の時間。山内先生がCDで「木曽節」をかけると、子どもたちは手拍子をして歌いだす。「自分の国の歌の一曲ぐらいは、いつでもどこでも、胸をはって歌えるようになってほしい」、山内先生は、3年生から琴、和太鼓、尺八などを採り入れ、日本民謡を中心に、謡、長唄なども唄ってきた。
 「日本の伝統の唄を授業に採り入れるよさは、その子が持って生まれた声で歌えるということです。みんなが声質をそろえていく合唱では自分を表現しきれない子も、自分の声を響かせる日本の唄は自信をもって歌うことができます。お腹からしっかりと声を出し、歌いこんでいくうちに自然に声につやが出てきて、リラックスして歌います。」
 「木曽節」も習って二度目の授業で子どもたちは歌うようになった。そこへ三味線が登場する。
 自分の住んでいる地域に伝わる民謡をもっと歌いたい。ぼくは自分の参加している地元コーラスでも提案している。学校でも子どもたちに歌ってほしい、それはぼくの願いでもあった。それを東京の先生が実行しておられる。
 埼玉の小学校の高橋先生は、黒板に500けたの数字を書いた紙をはった。5年生の授業。これはまだ教えていない円周率だ。子どもたちは身の回りの円いものを持ち寄って、その円周と直径を測ろうと苦戦する。各自いろんな方法で長さを割り出すと、今度はその円周を直径で割る。各班の子どもたちは、自分の計測した値を計算していくと、3.12とか、3.23とか、いろいろ出てきた。そして平均の値は3.14に近づいていく。高橋先生はそれを見て言う。
 「みんながしてきたことは、すごい発見なんだよ。昔の人も挑戦してきました。」
古代ギリシャの数学者、物理学者のアルキメデスを紹介して、円に内接する正96角形を調べておよその円周率を導き出したことを話した。高橋先生のねらいは、子どもたちに自分たちで円周率を発見させることだった。
 初めから知識として教えていく授業ではなく、自分たちでそこに潜んでいる理を見つけ出していく、その作業の過程にこそ学びがあり育ちがあり、仲間との協働がある、そういう授業だった。
 千葉県の小学校6年生、野村先生の授業は、生き物から発見する授業。子どもたちは一人ひとり、虫かごやビンにダンゴムシを飼っている。ダンゴムシも糞をする。その糞は自然界ではどうなっている? 子どもたちは校庭に出て、土の中の生き物を探す。ダンゴムシのほかにも、ミミズ、クモ、ムカデ、ハサミムシ、ナメクジ、カメムシなど見つけた。ダンゴムシはどんなところに住んでいる?
 「日かげや、しめっている、枯れ葉のあるところにいる」 
 「ダンゴムシやミミズのいる土は、こげ茶色だった」
 「ミミズのたくさんいるところの枯れ葉はとてもこまかかった」
 次に集めてきた生き物たちを、落ち葉と土を入れた容器で飼育して観察をする。先生のねらいは、たくさんの生き物がいて、落ち葉や死骸を食べて、糞をして、土ができ、植物が育つという自然界の循環を子どもたち自身で発見していくことだった。
「落ち葉を食べたときは茶色い糞なのに、ニンジンだとオレンジ色っぽくなった、など、子どもたちの発見には驚かされます。3年生ならモンシロチョウの幼虫を育てます。さなぎの色が外敵から目立たないようにするために、場所によって変化するのですが、いろんな色の折り紙で箱をつくり、観察するのもおもしろいですよ。」
 そう、教師にとっても子どもにとっても、この尽きないおもしろさ、発見の醍醐味、時間のかかる、回り道のように見える学習のなかにこそ教育がある。
 札幌の佐藤先生は、6年生の子どもたちに奈良の大仏の形を運動場に実物大で描かせた。そして自分の身体の大きさに切った新聞紙を並べていった。10人並べても大仏様の身長には届かない。大仏殿は校庭いっぱいの大きさになった。こんな大きい大仏をどうやってつくったのだろう、と子どもたちは考える。そうして歴史を勉強していく。
 「知識を伝えるだけでは教育ではない。どんな課題も、探偵的に探ることで知恵に換えたい。子どもたちは少年探偵団、教師は明智小五郎ですな」
と佐藤先生。憲法の学習では、すごい発想だ。
 「快晴の日の真っ青な空、『この青空は日本国の憲法の第何条の景色だと思いますか?』とたずねます。子どもたちはなんと答えると思います? 『憲法なら9条』というのは大人の偏見、子どもの答えは13条(幸福追求権)、25条(生存権)と実にばらばらです。そこで一句、と青空と条文からイメージする俳句をつくってもらいます。想像から創造へ、私は子どもならではの感性や考え方を大切にしています。憲法の内容は中学で習うのですが、6年生でも導入はできます。でも、丸暗記や、改憲かどうかなどという、押し付けはしたくない。1条から103条までで、思い浮かんだ条文の風景をカメラで撮影してくるという授業もします。お気に入りの条文を探して、その理由を発表する授業もします」
 ほんの数人の先生の一部でもこれだけおもしろい。こういう先生が仲間を作れば、学校は変わっていくだろうな、と思う。