大阪・桜宮高校体罰事件の底にあるもの

 日本の学校の体質は相変わらず続いているのだと思う。桜宮高校の教師が振るった暴力は、みんなが見ているところであり、これまでも何度もなぐっている。当然の行為のようにオープンに行なわれてきたということから、当教師はためらいとか罪悪感とかの埒外にいたのではなかろうか。そこまでやらないと生徒は強くならない、鍛えられないという指導観を持ってのことだろう。彼の行為は限度を超えた「しごき」とも言える。自殺は彼の想定外のことだった。自殺に追い込むほどのことを自分はやっているという想像力も失っていた。ぼくの学生時代、大学山岳部に所属して山に登っていたとき、多くの大学で「しごき事件」が頻発し、死に至らしめる事件も発生した。それに対して社会から厳しい批判が巻き起こった。その後いろんなスポーツの世界で、学校の部活動における暴力事件がしばしば問題になった。学校といういわば閉鎖社会で、指導するものは大将だ。指導を貫徹するためには強い指導力が必要となる。その指導力の右翼が、暴力的鍛錬主義というものであった。学校の誇り、名誉をかけて、勝負に勝つことをめざして。
 学校の中の体罰について歴史をさかのぼって考える。
 旧日本軍では、ビンタ、鉄拳制裁は当たり前であった。服従を強いるために暴力、虐待は常態化し、一切の反逆、抵抗を許さず、ひたすら耐えて忠実であることを強いた。それが学校の中にまで導入された。戦争が終わって、軍国主義は終わりを告げ、民主主義の教育がおこなわれるようになると、貧しく苦しい生活の中からも、志を高く掲げた教師たちの民主教育創造が始まった。まず復活してきたのは生活つづり方教育運動だった。そのなかから、あの「やまびこ学校」の実践が生まれた。自分たちの置かれている生活を見つめ、どうしてこのように貧しい生活を強いられているのかを考え、友だちどうしが助け合い、どのような社会を作っていくべきかを話し合う子どもたち、映画化もされたその実践は多くの教師を励ました。さらに海外からの新しい教育法も入ってきて、教師たちは刺激を受けた。しかし、体罰を含む戦前の教育体質は、学校の風土のなかに根強く生き続けた。指導するものと指導されるものの関係性の中で。
 私が教師になった1960年代、親からよく言われたのは、
 「先生、うちの子が悪いことしたら、ぶんなぐってでも直してくださいよ」
 それは学校では先生に任せるから、しっかりと子どもを育ててほしいという、教師への信頼と期待だった。暴力肯定ではない。
 強い指導力を持っている教師、その指導力とはどういうものなのか。生徒に恐れられる「怖い」教師がいた。先輩のその教師の授業中はことりとも音がしない。ビンタが生徒の頬にとぶこともあった。ぼくはその教師の暴力体質への批判を胸に抱いてはいたが、口にすることはなかった。彼を心で批判しながらも彼と付き合っていた。ぼくは毎日生徒と下校時間までいっしょに活動し遊んだ。文集を作り、ガリ版の学級新聞を印刷し、フォークダンスをし、歌を歌った。
 大阪で最も教育が困難だと言われていた学校に転勤したのは、1966年だった。そこでは学校の秩序に必要とされる根源の指導力が問われた。校内暴力が起こる。生徒が教師に暴力をふるう。その中での指導力とはどんな力なのか。荒れる生徒の被差別の実態を掘り起こす。日夜、それを考え実践していくことが続いた。自主教材づくり、指導法の創造、地域に出て住民と語り合う、満身創痍の13年間だったが、この学校時代での13年間、教師による体罰はまったくなかった。
 1980年、転勤した学校ではツッパリが登場する。近隣の学校の番長と覇を争う連中がごろごろと出た。ここでも、在日コリアンの親から言われた。
 「センセイ、うちの子、言うこと聞かんかったら どついとくなはれ」
 この学校には10年いた。ここに体罰教師が現れた。一人はベテランの年配教師、もう一人は新任の体育の教師だった。若い彼は、制裁するとき鉄拳をふるった。顔面をぶんなぐる。生徒は鼻血をだした。体罰は年に2回か3回かあった。この教師は、学校の秩序を維持することに功績があると暗黙でみなされ、体罰は見て見ぬ振りで容認されていた。学校体制が体罰をふるう教師の指導力に依拠していたから、それに対する批判を胸に抱く教師はいても、直接そのことを批判し、俎上にあげて討議することはなかった。管理職も黙認だった。体罰を含んだ管理体質は、事なかれ主義の学校風土のなかで払拭されることはない。このときの黙認は自分にとっても傷である。自分もまた同罪であった。
 桜宮高校の校長の弁明を聞いていて、今なお学校に蔓延しているものを感じた。校長は、なぐった行為を「指でたたいた」とか、あいまいな言い方をした。ことの重大さをぼかす行為だ。当の教師をかばい、問題から逃げ腰になっている。この学校の教職員もまた「指導力を持つ、怖い」教師によって、秩序を維持され、学校の名誉を高めてもらっていると認めているのだろう。なかに批判をもつ教師がいただろうけれども、批判という波風を立てる勇気、力を持てなかった。管理職も教職員の多数も、今の学校体制を容認してきた。孤立してもそこにメスを入れる人はいなかった。みんなに同調し、当事者の自己責任に任す、もの言えばくちびる寒し、自分の守備範囲のなかでやっていく、学校改革なんかできはしない、おそらくそういうことではないかと思えるこの無気力感に対して、どうしたらいいのか。
 おわびして、どうなるものか。体罰を加えていた教師を罰して終わりではない。学校にはびこっている、同調主義、無気力感、意欲の喪失をこそてっけつしなければならない。教育行政は最も問われなければならない存在である。教員の人事権をもつ機関だからなおさらだ。