[]日本社会  50年後、100年後


 

 信州で見かける道路サイドの木のフェンス、これは間伐材の丸太で作られている。国営アルプス公園の近くにもこの丸太フェンスがある。田中知事時代のアイデアで、森林と林業を守り育てるため間伐材を活用しようと、鉄のフェンスを木のフェンスに変える施策だった。茶色く塗られた木の丸太フェンスは、森や田園の環境によく調和し、優しく穏やかで、それでいて頑丈、そして味わいがあった。あの白く塗られた無機質の鉄板フェンスとは趣が全く異なる。この間伐材フェンスを全県に普及できたら、信州の雰囲気はもっと暖かく、森の国にふさわしいものになるだろうと、多くの人が期待した。しかし、田中知事から村井知事に代わると、木のフェンスはぴたっと普及が止まった。
 森林と林業を守り育てるため間伐材を活用するもう一つの田中知事の施策に、ペレットストーブの普及があった。間伐材を粉末状に砕いて固めたペレットを燃料にするストーブは、よく燃え、火力を自由に調節できて、薪ストーブと同じ輻射熱が身体を芯から温める。長野県はこのストーブに補助金をつけて、普及を図った。ペレット燃料づくりの業者が生まれ、ストーブも開発され、林業がこれでひとつ活気付けばと、希望も生まれた。しかし、田中知事が落選する。ペレットストーブの普及もまたぴたっと止まった。
 「脱ダム」の方針も同じ。新しいダムづくりを改め、ゼネコン主導の乱開発をやめて、治水・利水を創意工夫しようとした方針も、田中知事の政策を全否定した村井知事によって終わりを遂げた。
 田中知事時代の終盤、不動産業者のMさんが、ぼくにこんなことを言った。
 「田中ではだめです。地方経済が弱体化したままで、見通しが立たない」
 土木建築業界で聞く声もそうだった。反田中の動きは強かった。かくして田中康夫時代の6年は終わった。
 国政では、「コンクリートから人へ」のスローガンをかかげた民主党が生まれた。が、戦後政治の核心であった国土開発・経済国家づくりは根強い。たったの3年間で民主党政権は終わってしまった。たったの3年、何ができる?

 友人N君からの年賀状にあった。
 「<弱者や虐げられるもの>が、<弱者を虐げるもの>を選んだ」
 虐げるという言葉の使い方は、主観か客観かという意見の違いをはらむ。政治家たちは弱者を虐げようとは思っていないだろう。むしろその逆だろう。しかし、政治になると非情の世界になる。 社会のなかで最も支えられなければならないものが、支えを失い、結果的に虐げられることになる、そういう政治を選んだと言わざるを得ない、と彼は慨嘆するのだ。「衆愚」を嘆くのだった。
 明治以降の近代化政策・富国強兵の延長線上に、軍国主義が生まれ、侵略戦争が行なわれ、そして敗戦にいたった。その後、復興・開発・経済国家づくりが国の方針となった。その発展と進歩は、自然と人為の調和を崩壊させ、国土を汚染し、破壊の危機をもたらした。国民の選択で生まれた政治によって独裁者が生まれた歴史が世界中にある。

 政治は、30年、50年、100年先の、さらに未来の日本と世界を画いてなされるものだ。