雪原のキツネ

 雪原を黒い点が移動していく。緑一色の夏の野では、目に留まりにくい小さな点の動きが、白一色の世界では眼は鋭くとらえてしまう。ランの目にもそれが入った。微動もせず、ランの眼は黒い点の東に消えていくのを追っていた。犬の祖先の狩るものの血は、はるか遠くに動く生き物の姿をとらえる。キツネだ。
 キツネの消えたあたり、夏場はよくキジが鳴いていた。「キジのよく鳴くところには、キツネもいる」、と書いていたのは、霧が峰に「ヒュッテ・コロポックル」を造ったエッセイスト手塚さんだった。
 このごろキツネを見るのは、朝早くだ。一昨日は、100メートルほどのところを走っていった。少し疾走して、スピードを弱めて、あたりを嗅ぎまわり、そしてまた走り出す。雪原にその足跡が浅く残っている。昨日は、我が家の庭のふちを、鼻を低く雪面に近づけて、通り過ぎ、お向かいのミヨばあさんの庭に入っていった。飼い犬のマミがいるなずなのに、どうしたのだろうと、よく見るとマミの姿はなく、ちょうど宮田さんが散歩に連れ出していたときだった。
 ぼくは、最近雪原をよく観るようになった。キツネの観察がねらいだ。今朝起きて、窓から北を眺めていると、東のほう、目の端ぎりぎりにキツネの黒い影が入った。こちらに来る。キツネは窓の視野から隠れた。南に向かったなと、部屋の南の窓に移動して眺めると、キツネはミヨばあさんの庭辺りから出てきて、ブドウ畑沿いに走り、Kさんの家の生垣の中に入って姿を消した。
 ここ数日、新雪が積もらず、雪面は硬く絞まっている。キツネは雪上を走っても足は深くもぐらない。自由自在に動き回ることができるから、餌を探して動いているのだろう。キツネも食べ物がなくて大変だ。
 この前、柴犬のチゃコが雪の中に鼻を突っ込んで、一生懸命何かを探しているところに出くわした。飼い主の望月のおばさんが、
 「私の足のところを、ネズミが走っていっただよ。ほんで、そこの雪の中に入っただ。チャコがそれを見て、ネズミを探しているだ」
と言いながら、リードをゆるめてチャコの雪掘りを見ている。
 「もう行くよ」
 何度も声をかけるが、チャコの狩猟本能はかきたてられ、いっかな行こうとしない。ネズミは雪の下に穴を掘って潜んでいるのだろう。この広い雪の原のあちこちに、ネズミが住んでいる。それがキツネたちの食料となる。キツネの鋭い嗅覚は、雪の下のネズミの匂いも感知する。
 朝の散歩でよく行き会う長瀬さんは柴のチビを連れている。長瀬さんもキツネをよく目撃している。
 「2頭いるだ。このまえ、走っていったで、チビが興奮して追いかけようとしただ」
 キツネは東の耕作放棄地の薮に住んでいると聞いた。以前、子どもも育てていたらしい。夏にはキジも子育てをするところ、ケーンと鳴いて居場所を知らせてしまうキジだが、どうしてキツネのいるところに住むのだろうか。キツネもキジも、巣が人目につかないところ、人間の耕作の足が入らないところを選んだ結果、キジの巣は天敵の巣のそばになってしまったのか、あるいは両者は季節によって棲息位置が異なり、キツネは夏場は山、キジは麦やソバの畑のあるところ、そしてキツネは冬の餌のないときに野に出てくるのかもしれない。では、キジは今どこにいるのだろうか。