黒豆の粉ひき


 我が家に、鋳物製の手回しの粉ひき器がある。大阪の難波から日本橋電気屋街に行く途中にある道具屋街で10年前に買ったものだ。片手で持てそうな大きさだが、よっこらしょと両手で持っても重い。物置きに10年間眠っていたものを、家内が思い出して取り出してきた。とつじょ思い出したのは、たくさん採れた黒豆を粉にするにはどうしたらいいかということになったからで、あれがあった、となったのだった。粉ひき器は、テーブルの端に取り付ける。器械の上が漏斗状になっていて、そこから豆を入れる。少し入れて、ハンドルをぐるぐる回す。すると粉の出口からすりつぶされたのが出てくる。
 もともとこの粉ひき器を買ったときは、小麦粉をつくろうという目的があった。
 奈良の金剛山麓に住んでいたとき、小麦を栽培して、小麦粉をつくり、パンやピザを焼こうと考えた。ご近所の山口さんに借りていた畑に小麦をまき、冬の晴れ間に麦踏みをして、青々育った小麦は初夏に見事に稔った。小学生のころにも栽培したことのある麦だ。50年ぶりの栽培で、なつかしかった。小麦はのこぎり鎌で手刈りした。小麦はしっかりつまっていた。一反の畑の際に小さな野小屋があり、そこに山口さんが昔使っていた足ふみの脱穀機があった。脱穀はそれを使わせてもらった。手伝いに来てくれていた進さん、正人君の手を借りて引っ張り出し、ペダルを踏むと、たくさんの金属の突起をつけたドラムがゴーンゴーンと音を立てて回る。麦の束を少しずつドラムの上に当てると小麦はばらばらと取れていく。その後、太郎兵衛さんからもらった唐箕にかけて、クズを飛ばした。
 つやつやと光る健康そのものの小麦の硬い粒、これを粉にするには粉ひき器がいる。ぼくが小学生だったときは、祖母は石臼を使うか粉ひき器を使うか、どちらかだった。そのどちらかを見に行こう。そこで大阪の道具屋街におもむいたというわけだ。
 道具屋街には、いろんな道具を置いている店が軒を連ねる。新しい道具よりも昔からの伝統の道具がここにはある。見るだけでも楽しかった。なんでもかんでも置いている店のなかで、その手回しの器械を見つけた。昔と変わらない造りだった。まだこういうのを造っている工場があるのだ。石臼もあった。どちらも重量があったが、石臼は手で持って帰るのはとても無理だった。こうして鋳物製の手回しの粉ひき器が我が家に来た。小麦を栽培した年には、それを使って小麦粉をつくり、天然酵母のパンやピザを家内はつくったけれど、その後、粉ひき器は物置の荷物となっていた。
 さて、この粉ひき器での豆の粉づくり。まず豆を炒る。素焼きのホウラクを使うか、フライパンを使うか、まず鉄製のフライパンで弱火にして炒った。それを粉ひき器でひく。炒り方が足りなかったせいか、きれいな細かい粉にならず、粗い粒になった。やっぱり石臼がいいかのう。次はもっとよく炒ってみたら、少しは細かくなった。それでもまだ粗いのがまじる。
 「売っている黄な粉とは、細かさが違うねえ」
と家内はこれをさらに電気ミキサーのミルの機能を使って仕上げてみた。それでまあ、朝の食事のヨーグルトに振り掛ける黄な粉に近づいた。でも市販のもののようにはいかない。もっといろいろやってみるか。
 今はそれを毎朝食べている。
 やっぱりおいしいのは、炒り豆をそのまま口に放り込んで、ポリポリ、コリコリ食べる食べ方だ。この素朴な美味、人類の歴史のなかで、人類がおいしさをかみしめてきた、味だ。