バレンボイムと岡田武史 <対立の歴史から脱して>


 イスラエルに住み、指揮者、ピアニストとして世界各地で活躍する音楽家バレンボイムさんへのインタビュー記事が朝日新聞に載っていた。じっくりと読んだ。読みたい記事だった。彼はブエノスアイレス生まれのロシア系ユダヤ人。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害、独立したユダヤの国・イスラエルによるパレスチナ侵略と敵対、この憎悪と悲しみと絶望の歴史の渦中にあって、彼はどんな希望を語るのだろうか。バレンボイムさんは、パレスチナの思想家、故・サイード氏と、イスラエルとアラブの若者たちを集めてオーケストラを作る活動もしてきた。互いに譲らぬものに対し、芸術の力はどこまで及ぶのか。インタビューは日中の間の問題を含ませて問うていく。
 「日中がそれぞれ何を主張しようと、音楽家と聴衆を出会わせる場所を、まずつくらねばなりません。同じ場所に人々が集い、そこに音楽が生まれるなら、少しなりとも良き道へと進むことができると私は信じます。政治的、歴史的な理由で分かたれる前に、音楽を通じて互いに人間として出会い、認め合うことができるのだと、イスラエルとアラブの若者たちを集めてオーケストラを作る活動から教えられました。あるときバイオリンのセクションで、アラブの若者とイスラエルの若者が、ある曲の中のひとつの音をどう響かせるべきか、そのためにどう弓を動かせばいいのか、真剣に探求している光景を見ました。そこにはイスラエルもアラブもない、ただの2人の人間がいるだけでした」
「私はベルリン国立歌劇場の音楽総監督を務めていますが、もし仮にドイツが己の戦争責任に真剣に向き合っていなければ、かの地のために働くことなど全く考えられなかった。ホロコーストを戒める碑を建立するだけでは十分でない。大切なのは現在であり、未来への希望を育てることだ。」
 「中東問題の本質は政治ではなく、人間そのものの対立です。ふたつの民族が、地球上のほんの小さな土地に対し、自分たちこそがそこに住む権利を持っていると主張する。双方が、その権利を絶対のものだと信じている。そこに政治的、軍事的解決の可能性などありえないのです」
 「いずれにもこの地に住む権利がある。そう認め合い、スタート地点に立てる可能性はあります。パレスチナ系のサイードイスラエル人の私の対話は、その希望の縮図だったのかもしれません。私たちは簡単にわかり合おうとはせず、異なる意見を交わすことそのものを楽しむことにしたのです。敵対する地域に生まれた私たちの、いったい何が違うのか。違いを知ること、ノーということ。そこからすべてが始まるのだと私たちは信じた。相手がなぜ自分と同じ権利を主張するのかに関心を持ち、話を聞く態度を持つことがすべての一歩であり、その一歩を築く力になれるのが音楽なのだ、と」
 「音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない。音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる。好奇心を持つということは、他者のことばを聞く耳を持つということ。相手の話を聞く姿勢を失っているのが今日のあらゆる政治的な対立の要因です。イスラエルパレスチナもそれ以外の大国も、己の無知と好奇心のなさをいまだに恥じようとしない。だから対話が進まない」
 「私はいま、ほかのどの一般教育よりも音楽教育が大切だと考えています。私たちはバッハやモーツァルトら、大作曲家の響きに自然の真理を見いだし、その構造に複雑な世界を理解します。音は消えても音楽は聴く人の主観に深く刻印され、その人間の精神の根幹を形作るのです」
「大切なのは音楽を通じて社会を、他者を知ること。それを子供たちに教えること。芸術は、人間が社会で生きてゆくための知恵の集積です。社会の一部にならねば芸術は生き続けていくことができない。そして、芸術が生き残らなければいけない」
 ワーグナーの音楽をヒットラーは愛し、それを利用した。そのことがあって、イスラエルではワーグナーを演奏しなかった。しかし、バレンボイムワーグナーを演奏した。イスラエル政府からの圧力を受けながらも。
 「私は、音楽を聴きたい人々が、理不尽な圧力で聴けなくなる状況を認めたくないのです。ワーグナーはもはや、世界普遍の響きです。しかし、ナチス時代の思い出と直結しているという人に、ワーグナーを押しつけるつもりはありません。私は、ホロコーストから生き延びた人々に対し、大きな敬意を抱いています。私は音楽を利用し、何らかの政治的合意を達成しようとしているわけでも、争う者同士を結びつけようとしているわけでもありません。『敵』とみなしている者同士を、まずは『人間』として向き合わせる。そのための素朴な試みに、音楽の可能性を賭けたいのです」
 日中、日韓で領土問題が浮上して、ナショナリズムが爆発し、関係が悪化した。とたんに、音楽会が取りやめになったり、音楽家の交流が取りやめになったりした。中国から日本に来る人も、日本から中国へ行く人も、危険を感じるということもあってのことであろう。バレンボイムの記事が載って二日後、サッカーの岡田武史さんのインタビュー記事が載った。岡田氏は中国のサッカーチーム、杭州緑城の監督を勤めておられる。中国に直接身をおいて、そこで中国を感じ、中国を知る、それは同時に日本を感じ、日本を知ることになる。彼は何を語るのか、この記事もかみしめるように読んだ。
 「政治システムからいえば、お互いに立場があって解決できない。そんなときには人の絆や信頼しかないと思う。その糸口が文化であり、スポーツ。政治家でもない自分ができることは、中国人と日本人が心をひとつにしてプレーする姿を見せること。」
 「自分は日本が好きだし、日本人としてのアイデンティティーを持っている。代表監督として日の丸を背負って戦った経験もある。でも、本質を見れば、尖閣問題もばかげているなと。お互いに固有の領土と言うけど、いつから固有なんだと。地球の歴史46億年を460メートルとしたら、ホモサピエンスの歴史20万年はわずか2センチだよ。」
 「幼稚園のときに砂場で遊んでいて、ここから入るなと友だちを排除したら、先生に『どうしたら仲良く遊べるか考えなさい』としかられたことがあった。それと同じで、けんかするか、話し合うしかない。じゃあ戦争をするのか。私はしたくない。ただ、それだけのこと。」
 「自分の3人の子どもの時代に争いを残したくない、いい社会、いい地球を残したいと思うだけ。子どもたちのためと考えると、どんな問題でも答えはシンプルに出る。例えば原発もそう。何が次の世代にプラスになるんですかと。」
 「私は、中国人はこうだからという先入観を持っていない。だから構えてもいないし、特別にこうしなければいけないとも考えてない。中国を嫌う人は多いけど、実際に行ったり、住んだりした人はどのくらいいるのか。相手を知らずに嫌いというのはおかしい。杭州で出会う中国人の大半からはそういう感情は起きない。」
 バレンボイムも岡田監督も、自分をその渦中に置いて、人を見、人を知り、人を感じ、自分のなかから生まれる信頼の土壌に立って、自分のやれる活動に打ち込んでいる。こういう人たちの言葉をこそ大切にしたい。学校教育に必要なのは、こういう人たちの生き方であり言葉だろう。