生徒のいたずら、先生のいたずら

 子どもはいたずらが好きで、友だちを驚かせたり、困らせたりしては大笑いする。時には相手を怒らせ、大人から大目玉をくらうこともある。それでも、いたずらは遊びの一種として絶えることはなく、いたずらをしたことのない人よりも、いたずらを子ども時代にたっぷりとやったことのある人のほうが、人間の懐や能力の幅が広いようにも思える。
 作家の畑山博が書いている農学校教員時代の賢治にまつわる話に、生徒のいたずらがある。教え子、長坂俊雄が語った話。
 「タバコはずいぶんやったものですよ。臭うでしょう。それで休み時間にタバコをすって、授業の前にジンタンをかむんです。臭いを消そうと思って。ところが賢治先生は臭いが変だと気づくのです。肩たたかれて、注意されたり、叱られたりしましたよ。賢治先生は、中でも厳しかったと思いますよ。一時間不動の姿勢で立って、ニコチン方程式の講義を受けさせられるのです。ニコチンの害によって、健康なモルモットがどうなって死んでしまうか、蛇さえやられてしまうとか、そういう講義なのです。
 椅子を壊して、ストーブで燃してしまったとか、ナイフで机を彫ったり、小使いさんが鳴らす鐘を鳴らしてしまったり、いろんな悪さをやりましたよ。
 ストーブの煙突が教壇の上を通って、外に出るようになっていたのですよ。その煙突の上に、雪玉をのせておくのです。そうすると、授業がはじまるころになって、先生の頭の上に水がぽたぽた落ちてくる。
 ストーブのなかに、松の葉を入れておいて、教室中をいぶしたこともありますよ。
 期末試験のとき、先生が一週間、寄宿舎に泊まるんです。その床をのべるのは寄宿の生徒たちなんです。ところが、それで、ノミをとって集めて、マッチ箱に20匹も入れて、それを先生の床に放してやりました。そしたら賢治先生は朝起きて、ゆうべはなんであんなにノミが多かったかなあと、ため息ついて言っていました。賢治先生は、穏やかな人だけれど、どこか鋭い威厳があって、悪ふざけをしかけるのはむずかしかったですね。」
 再び根子吉盛の話。ある日、生徒二人がノートもとらず、頭を突っつき合って、ふざけていた。
 「賢治先生は、黙ってじっとそれを見ていたんですよ。それから自分の持っていたチョークを、いきなりガリガリと噛み始めました。みんな、しいんとしてしまいました。賢治先生にはそれが、自分のふがいなさに感じられたのですね。それに比べて、今の他の学校の先生たちは、生徒ばかり責めて、自殺させてしまったりする。教育というのは、ほんとうは、教師と生徒が一体化体験をすることなのに‥‥。わたしたちの学校ではそのうちいつか、賢治先生のときだけは、ふざけ方も変わっていったのですよ。」
 一方、賢治もまたいたずらをしたことを、長坂俊雄は紹介している。窓をまたいで、職員室に入ったり、校長の後ろから、校長の歩くまねをしたり、宿直の夜、生徒に怪談を一席ぶって、「きもだめし」をしたりしている。「きもだめし」は1キロ先の火葬場まで行って、その壁にサインしてくるというものだった。実習授業の途中で、バケツに水を汲みに行かせ、別の生徒に村の店からブドウ水を買ってこさせて、それを混ぜてみんなでストローで飲んだこともあった。そして畑山はこう述べている。
「常に賢治は、今目の前にいる生徒を、今目の前に見える姿ではなくて、相手がかくあるはずだという理想の形に置き換えて話していた。それが賢治の人間教育の基本だった。
 生徒の行動の中に、佳きピカルーン(悪漢)を見ようとした賢治は、自らもまたときに、佳きピカルーン(悪漢)を志した。」
 生徒だった平来作の話。
 「あるとき、先生が夜一人で散歩しているので、先生何をしているのですかと訊くと、今そこのソバ畑で泳いできた。白い光が咲いていてとてもきれいだった。気持ちよかったと言うのです」
 教え子、佐藤隆房の話。
 「秋の遠足の日、先生はとつぜん向こうの大きな松の木のそばまで駆けて、するすると登ったのです。木に登るのは実に上手なのです。そしてはるか西の方をさして、ほう、ほうと呼ぶのです。見るとオナガらしい鳥の編隊が飛んでゆくのです。それから先生は木を下りて、大喜びで手を打ち、足を上げて、そこらを飛び回りました」。