雪降る日、学校教育のベースを考えていた

 夜中にトイレに行った。窓から見ると、夜が白かった。また雪が降っている。闇の中の田んぼも道も、いちめんの雪だ。朝方のまだ暗いうち、重いエンジン音がかすかに聞こえた。ラッセルが来ているようだ。またうとうとした。
 起きていつもの散歩に出た。30センチほど積もった今朝の雪はふわふわ軽かった。雪は降り続いている。比較的湿度の高い雪のようだった。数台の車が通ったわだちの跡を歩く。遠くまで行かないところでランがウンチしたから引き返し、短い時間の散歩になった。雪かきをしようかと思ったが、雪は降りしきる。もう少し様子を見てからにしようと、朝食を食べ、居間で新聞を読んだ。
 大阪市の橋下市長が、「桜宮高校の事件を受けて、原則来年から学校長を全員外部から採用するという方針を述べた」というニュースが書かれていた。「多様な価値観を強制的に入れる必要がある」と、外部人材の登用による教育改革を考えている。広く内外に人材を求めることはいいことだが、教育についての見識のある人が求められるかどうか、採用する側の人事部に人を観る眼があるかどうか、これまで無能ともいえる人を教職や管理職に採用した教委だから、難しい人事ゆえの議論をおこす必要がある。
 雪が降りやまない。無線放送が入った。大雪注意報だった。水路に雪を投げ入れないようにという注意があった。水路が詰まると水があふれて道路が水浸しになり、それが凍ると道路はスケートリンクになる。工房の屋根の雪がずれて、下部がどさっと落下した。隣の家の屋根の雪は、もっと早くかなりの幅で落ちている。工房は角度30度、隣家は45度ほどの屋根の勾配、雪崩は勾配30度になると起こると言われている。
 雪はまだまだ積もる。昼食をしていると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴り、くろねこヤマト宅急便のおじさんが、雪かきのスコップを貸してほしいと言ってきた。出てみると、宅配トラックが道で動けなくなり、対向車がストップしている。ぼくも手伝って、車の下の雪をかいた。何度か車を動かすが、チェーンをまいたタイヤが空回りをする。雪はますます降り続く。タイヤの下に木の板を敷いてやっと動いた。
 ぼくの数日前のブログに書いてくれた人のコメントへ、返事を考えた。

 教師たちは、腹を割って、率直に子どもの話、教育の話の出来る同僚・友をもっているだろうか。自分の世界にとじこもってやっていると、道を誤る。行き詰まりを打開できず、おちこんだり、感情的になったり、無理をしがちで、実践にゆがみが起こる。学校でどんな会話がなされているか、自分たちの教育指導を語り合い、批判しあい、研究することがない学校では、教育は停滞し、問題をはらむ。子どもと教師の関係や指導について話題にすると、よけいなお世話だとか、人の指導にケチをつけるな、干渉するなとかと、教師同士の関係が壊れることもある。それに気を使って、あたらずさわらずの教師関係になっている学校が多いのではないか。新人もベテランも、自分の悩み・困っていることや失敗を、謙虚に議論の中に出せるような学校にしていくために教職員の教育力のベースを培うことだ。煩雑な雑務に時間がとられるような学校運営からは、理想の学校、教育は生まれてこない。体罰は、最も原始的な野蛮なやりかたである。ボス的な教師と、迎合する教師と、黙認し、あきらめている教師という構図の学校には、教育科学は根付かない。

 雪は霏々として止まず。いよいよ雪をかいておかないと、明日がたいへんになる。