日本の美、雑木林はどこへ行ったか


 明治31年国木田独歩がエッセイ「武蔵野」で、こう書いている。
「昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしている」
 独歩はあてもなく武蔵野を歩いた。
 「林は実に今の武蔵野の特色と言ってもよい。すなわち木はおもに楢(ナラ)のたぐいで、冬はことごとく落葉し、春はしたたるばかりの新緑萌え出づる、その変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ、霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑陰に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙は、ちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類の落葉樹の美をあまり知らなかったようである。林といえば主に松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見当たらない。」
 千葉県生まれの独歩は、少年のときに学生として東京に出てきて十年ほどして、二葉亭四迷の翻訳したツルゲーネフの「あひびき」を読んだ。その冒頭の一節は独歩に大きな感動を与え、それによって独歩は落葉樹林の美に眼を開いた。
 その冒頭はこうである。
 「秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林のなかに座していたことがあった。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生暖かな日かげも射して、まことに気まぐれな空あい。あわあわしい白雲が空一面に棚引くかと思うと、ふとまたあちこちまたたくまに雲切れして、無理に押し分けたような雲間から澄みてさかしげに見える人の眼のごとくに朗らかに晴れた青空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上でかすかにそよいだが、その音を聞いたばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、長たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、ウソさぶそうなおしゃべりでもなかったが、ようやく聞き取れるか聞き取れぬほどのしめやかなささやきの声であった。」
 さらに描写が続いていく。
 独歩が落葉樹林の趣を解するようになったのは、この微妙な描写の筆の力が大きかった。そして独歩は次のように述べる。
 「これはロシアの景で、しかも林は樺(カバ)の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが、落葉林の趣は同じことである。自分はしばしば思うた。もし武蔵野の林が楢の類でなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩一様なものとなって、さまで珍重するに足らないだろう。」
 独歩は武蔵野を描写していく。紅葉、落葉、時雨がささやく。木枯らしが叫ぶ。幾千万の木の葉が高く大空に舞い、小鳥の群れのように遠くへ飛び去る。落葉した林の裸木は、数十里に広がり、青ずんだ冬の空が高く林に垂れ、武蔵野は沈静に入る。空気が澄みわたり、遠くの物音があざやかに聞こえる。
 「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの道でも足の向く方へ行けば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美は、ただその縦横に通じる数千条の道をあてもなく歩くことによって、はじめてえられる。」
 「道をぶらぶら歩いて、思いつき次第に右し左すれば、随所にわれらを満足さすものがある。武蔵野をのぞいて、日本にこのようなところがどこにあるか。北海道の原野には無論のこと、那須野にもない。そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接しているところがどこにあるか。実に武蔵野にかかる特殊の道のあるのはこの故である。」

 しかし、日本という国は、この武蔵野の美を完膚なきまでに切り裂き崩してしまった。
 安曇野もまた同じ。山間部以外にはどこにも雑木林は残っていない。人の散策する小道はない。散策し林と野の声を聞く人の姿もまたない。