映画「永遠のゼロ」

 コーラスの会の雑談のなかで「永遠のゼロ」を観てきた、と大友さんが言っていた。え? 「永遠のゼロ」? そんな映画やってるの? ゼロが日本軍のゼロ型戦闘機、ゼロ戦であると聞いたとき、このゼロが別の何かを暗示しているように思えた。家に帰って調べてみると松本市内の映画館で上映中だ。原作があったことも、それがよく読まれていることも知った。
 ゼロ戦と言えば、宮崎駿の映画にも出てくることは情報としては知っていた。なぜ今、ゼロ戦? どうしてそれが注目されるのだろう。ネットで調べたら、安倍首相も観ているという。なんだかそのことが靖国参拝とつながっているような気がした。
 どんな映画だろう。観てみようか。
 山形村の野っぱらに、どでかい商業施設があると家内が言う。デパートがつくっている施設で、そこにも映画館がある。そこなら松本市内より近い。
 ということで昨日、その映画を観てきた。上映時間前に行くと、入り口前に50人ほどの人が開演を待っている。見れば高齢者がほとんどだ。戦争体験者かなと思う。それにしても映画館の前に人が並ぶとは最近珍しい。それも田舎の映画館だ。入場券には番号が振ってあり、ぼくは47番目、家内が48番目、入場係のアナウンスに従って入場した。これも驚きだった。
 映画は、ゼロ戦に搭乗して、特攻隊員として死んでいった祖父の歴史を調べる二人の孫の、祖父、宮部久蔵の謎を追う物語が縦糸となっている。孫である姉と弟は、祖父の特攻隊仲間の生き残りを訪ねて歩く。元特攻隊員の話から見えてくる祖父、ゼロ戦の戦闘技術では並外れた技量をもちながら、“海軍一の臆病者”と呼ばれた、次々明らかになる祖父の姿を横糸に、なぜ宮部久蔵は死んでいったのかが追究されていく。
 宮部久蔵には妻と子がいた。愛する妻と子のためには、生きて帰らねばならない。死んではならぬ。それがゼロ戦操縦では群を抜いていた宮部久蔵の戦い方だったし、生き方だった。勇敢には戦うが無駄死にはしない。無駄に死なないためには、愚かな作戦は認めない。自分だけでなく、自分の部下もまた無駄死はさせない。
 そういう宮部を隊員たちや上官は批判し攻撃する。国のために戦っているのかと。しかし宮部は国のために戦う戦闘員でいながら、家族のために生還する道を選び続けた。そして最後に最も愚劣な軍事作戦の特攻隊員として、死を選んでいった。自分の部下に生還の機会を与えて。
 国の上層部、軍の上層部の誤まった計画と作戦に翻弄されて命を失っていく兵士たちの姿は、最後の戦闘場面で生々しく描かれる。映画製作の技術はすごいものだと思った。戦闘機の空中戦の映像もそうだ。
 戦争終盤、ゼロ戦を上回る性能のアメリカ軍戦闘機に、次々とゼロ戦は火を噴いて海に落ちていった。ただただ無謀な戦法だった。
 結局、宮部は敵艦に突っ込んでいって死ぬのだが、生きて帰ると妻に約束したその約束はどうなるのか。物語は、それを飛行機を交換して部下を身代わりに生き残らせ、その部下に宮部自身の魂を託した。
 見終わってから、いろいろな思いが湧いた。
 どうして特攻隊を志願したのか。彼らはそうせざるをえないところに追い込まれた。それが国を守るため、家族を守るための最後の手段なのだと決死の覚悟を決めることに、生きてきたことの意味を見出していた。だが、生き残れるものならば生き残りたいと思っていた。学徒兵たちは、学問半ばで召集されて、死を選ばざるをえない局面に立たされて死んでいった。
 特攻による戦死者は6000人。戦死した兵士は「軍神」と崇められた。
 安曇野出身の上原良司は、慶応大学の学生であったが特攻隊に入って死んだ。遺書のなかにある次の言葉は彼の苦しかったであろう心の葛藤である。
「私は明確に言えば、自由主義にあこがれていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは馬鹿なことに聞こえるかもしれません。それは現在、日本が全体主義的な気分に包まれているからです。しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えたとき、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。
 戦争において勝敗を見んとすれば、その国の主義を見れば、事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦は、火を見るより明らかであると思います。
 日本を昔日の大英帝国のごとくせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上はただ、日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます。人間にとっては一国の興亡は、実に重大なことでありますが、宇宙全体から考えたときは、実にささいなことです。おごれる者久しからずの例えどおり、もしこの戦に米英が勝ったとしても彼らは必ず敗れる日が来ることを知るでしょう。もし敗れないとしても、幾年か後には、地球の破裂により粉になるのだと思うと痛快です。」
 家族に残した遺書には、このように日本の全体主義への批判をいだきながら、祖国を守るために死の意味を見出そうとした上原の葛藤が書かれている。自分は死ぬ、それは日本の敗戦に従う道である。敗戦の後に生まれ変わる日本は、自由で独立した、戦争のない国になってほしい。

 安倍首相は「不戦の誓い」と言う。ならば、そうして死んでいった者たちの思いを受けとめ、戦争を引き起こし、死ぬことを強いた戦争指導部、国家の責任者の罪を明らかにしなければ、「不戦の誓い」は、誓いとならない。戦争は、永遠にゼロである。