松枯れ対策と里山再生等を考える


 アカマツが真っ赤になって枯死している風景を見る。進行する松枯れは、安曇野でも明科周辺から穂高の森へと広がっており、信州各地のアカマツ林が危ない。
 行政・林業・林学の関係者だけでなく、市民も含む研究会が明科の公民館で開かれ、参加してきた。参加者は60人。
 全国的に松枯れが言われて久しい。薬剤の空中散布が行なわれだして、もう何年たつことだろう。その原因が、マツクイムシだということで殺虫剤がまかれるようになってから、今度はその薬剤の危険が問題になった。ミツバチが激減し、それへの影響が言われた。さらに人間の脳や神経の発達に影響を与えるというニュースも流れた。
 信州は今、その松枯れに直面している。
 研究会では、4人のパネラーから発表があった。
 いったい何が原因なのか。松枯れの原因について、何人かの意見や報告があったが、まだ充分解明されていないところがあるようであった。マツクイムシという虫は存在しない。松を枯らすのはマツノザイセンチュウと呼ばれる体長1ミリに満たない線虫である。その線虫を健康な松へ運ぶのがマツノマダラカミキリである。秋に、線虫の繁殖した松にカミキリが産卵する。冬の間に、松の中でカミキリはさなぎになる。すると、線虫がカミキリに乗り移る。春になるとカミキリは羽化して木から出てくる。そして空中を飛んで、別の元気な木にやってきて、小枝の皮をかじると、線虫が木に入り、松の中でセンチュウが繁殖して松は衰弱し、やがて枯死する。
 発表者は、原因はこれだけではないと言った。センチュウが入っていない松でも枯れているのがある。ナラタケ菌などの土壌菌による枯死も多い。参加者の中から、酸性雨による枯死も考えられ、その松は根っこが充分生育していない、という発言があった。
 こういう意見を聞いていると、もう何十年もたつが、原因はさまざまなのだなあと思う。しかし木がどんどん枯れていくから、広がりを防いでほしいという願望が出てくる。それに対して行政は手を打たねばならない。そしてマツクイムシ対策の殺虫剤散布の広がりとなった。ヘリコプターで撒き、被害の多いところでは地上に撒く。さらに伐採した木を覆って薬剤で燻蒸処理する。
 それらの作業はやっかいで危険も多い。人材確保に財政的に莫大なコストがかかる。だが、枯れた木を放置すると道路や建造物上に倒れてきたりする危険が生じる。さらにアカマツ中心の単純林が枯れると、豪雨のときの土砂災害も招きやすい。
 穂高地区の別荘地には定住する人も多くなった。そこはアカマツの多い林の中の住宅地で、9年前に一軒の家を見に行ったことがあった。移住してくる前で、古家を探していたときだった。そのとき見たのは、舗装していない道路が、豪雨のときに川となり、人間の腰の深さほども深く土がえぐられていた跡だった。林は保水力を持たず、雨がすぐに道路に集まって流れ落ちる。なんとも危険な状況であった。
 元四賀村(現松本市)の里山を考える会の人から、
 「森林樹の遷移という長い眼で見れば、松だけが繁殖する時代が終わり、次世代の樹木が興隆する準備が始まったところであるとの見方もできる。場所によっては、枯れた松林を多様な樹木の生い茂る森林として再生していくことが適切な対処であると言える。そこで、被害木伐採跡地への植樹や植生管理に、美しい里山風景を失いたくないという強い気持ちを持った市民が積極的に参加できる仕組みをつくって、広めていくことを提案する」
という意見が出た。
 烏川渓谷緑地の保全チームリーダーの諌山さんは、被害木の有効利用を提案した。すでに始まっている、アカマツ材を燃料として使う方法、たとえば大型施設の薪ボイラーでの活用、住宅の薪ストーブでの利用、チップにして燃料に使う、堆肥にする、さらに建築用材にしていく。そういう積極的な活用が市民から興ってくることで、環境が保全され、経済的にも効果を生むようになる。
 昨年、明科小学校の先生が、子どもたちと森を守る学習実践を始め、マツノマダラカミキリを食べてくれるキツツキの一種、アカゲラを増やそうと巣箱を設置する活動をしていた。
 それぞれ積極的で、市民が動けば環境が守られていく提案だった。
 ぼくは、神社林のことで考えていることがある。このあたりの神社は、境内の林はほとんどアカマツである。ここに松枯れが生じたら、一網打尽の状況になる。そのときまでに次の林を育成しておかなければ、神社は無残な姿になるだろう。今のアカマツ林の神社は暗くて、人を引きつける要素が乏しい。花は咲かず、小鳥は来ず、子どもの遊び場にならず、散策する場にもなっていない。市民が来たくなる憩いの林にしていくことが、神社を守ることになると思うのだが、今のままでは、新しくその地域に居住した人は、氏子になる気は起こらず、神社とはなんの心のつながりも持てない。ぼくは大和の寺社を思い出すが、そこには実に多様な木々が生えていた。山桜、クヌギ、コナラ、クス、カシ、イチョウ、コブシ、カエデ、ケヤキ、実に豊かであった。広葉樹が多い。アカマツは「パイオニアプランツ」、先駆種と言われていて、初期林をつくる。すなわち次の豊かな森へとバトンをタッチしてくれる森なのだ。そうであるなら、自然界の動きに合わせて森づくりをしていくことが、人間のやれることだ。神社の林に、今から信州の風土にあった広葉樹を中心にして、いろんな木を植えていくことが先駆的な取り組みになる。
 松枯れ問題から考えていくと、環境をつくるのは市民だというところに行き着くだろう。市民、そして行政が動かなくてはならない。そうすると、まずやれることの具体化である。