「みんなの学校 大空学校」を観た

             <写真・昨年、地元の小学校卒業式で>


 関西テレビ制作のドキュメンタリー、「みんなの学校 大空学校」を長野放送で観た。大阪市立南住吉大空小学校の一年間の記録。
 浪花のおばちゃんたちが出てくる。先生たちも、かっこつけない、なつかしい大阪弁だ。この大阪弁という言葉は、河内出身のぼくの耳にぺたっと張り付く。
 この学校には特別支援の子どもが多く通ってくる。席にじっと座っていられない子ども、こだわりが強くてトラブルをよく起こす子、一日に一、二時間ぐらいしか学校におれない子、あの子がいるなら学校へは行かせたくないと思われている子、いろんな子どもがいて、どの子も行きたくなる学校にしようと、おばちゃん校長を核にして、みんなが学校を居場所にする。居場所と言っても特定の場所ではない。子ども同士の関係、先生や職員と子ども・親・地域との関係、その関係性が居場所なのだ。
 この学校では、不登校ゼロ。発達障害も個性ととらえる。自分や他者の良さに気付いてともに生きる力を付けさせることを目指している。
リーダーシップを発揮しているおばちゃん校長は、子どもとのかかわりでは、全面的に前へ出ている。校長室も職員室も、子どもとのコミュニケーションの場だ。特別な部屋などない。管理作業員も共に取り組んでいる。子どもたちは校長室へどんどんやってくる。
 「なんでそんなこと、したん?」
 「どうしたらいいと思う?」
 とことん子どもの気持ちを聞いている。聞いて聞いて考えさせている。あかんことはあかん、そこを越えさせようという一線はびしっと言う、子どもが少しでも前へ進もうとしたことは評価してはっきり言ってやる。
 この放送は、日本放送文化大賞準グランプリを受けたものだった。
 最後の卒業式の場面、卒業生の子どもたちはひとりひとり、学校や先生へ、弟妹たちへ、自分の言葉でメッセージを発表していた。それはまた、なつかしい光景だった。

 43年前、同志とともに先駆的な教育に取り組んだ矢田南中学校の卒業式、大空小学校のこのシーンを見て、あのときの創造が今も息づいているように思った。矢田南中学校とその南住吉大空小学校とはすぐ近くだ。
 43年前、あのとき教師集団は考えた。「卒業式の主人公は生徒だ。主人公が生徒なら、どんな卒業式にするといいか。生徒の意見も聞こう。」 かくして、卒業式に歌う愛唱歌は生徒たちに募集してつくられ、式のメインは各クラスごとに演壇に上がって卒業生一人ひとりが自分の声で発表する語り・「卒業宣言」と、教職員を代表して校長が述べる「贈る言葉」、そして全校生徒の合唱で構成された。卒業証書は、式の後のホームルームで、学級担任が一人ひとりに手渡した。

 大阪でも東京でも、全国いたるところで、国歌を歌っているかどうか監視する目が光る卒業式になったと聞く。希望を語リ合うはずの式は、硬直した抑圧的な式になっていると感じる。
 明と暗、事実実態はどうなのか分からないが、大空小学校の実践を見て、いくばくかの安堵があった。
 しかし、われらが地区の小中学校の、昨年の卒業式に出たぼくの心は重く苦しく、来賓席のぼくは不登校生の心境になった。