歴史と民主主義<3>

  

 「昭和万葉集 巻六」(講談社)のなかに、「獄中の歌」と名づけた項がある。戦争中に、治安維持法違反で獄につながれた人たちの歌である。
 「短歌評論」という雑誌があった。労働者の生活実感や政治批判の歌も掲載されたために弾圧され、1938年1月廃刊になる。日米開戦の翌日12月9日、中心人物の渡辺順三は治安維持法違反の容疑で検挙され、つづいて「短歌評論」のグループ25人が投獄された。思想犯とみなされての弾圧であった。

    憶(おぼ)えなきことを迫りて書けといふ知らねばわれの体に訊くと
                              小名木綱夫

 記憶にないことを、知っているはずだ、書けと、脅される。知らないというなら体に訊くぞ、と拷問で迫ってくる。

    けだものの檻(をり)にも似たる 独房に、日も夜も黙しわれは座れり。
                               渡辺順三

 彼らは獣が入れられるような独房に入れられて、取調べを受けるときは、言葉を発せず黙秘を続けた。

    壁の上にさす陽を見つつ待つ昼餉(ひるげ)もろこしの飯小さくかたし
                               内田穣吉

 独房に中には陽はささない。かろうじて独房の壁の上に陽が当たるだけである。その陽の当たる位置で、大体の時間を判断した。昼食と言っても、小さなとうもろこしの飯であって、少しばかり、そして硬かった。

    世をあげて戦(いくさ)どよもす元旦を吾(あ)は捕(とら)はれて黙(もだ)し坐しをり
                               天達忠雄

 国を挙げての総力戦が叫ばれ、元日は人々の戦勝祈願の万歳の声が留置房まで聞こえてくる。どよもす声を遠くに聞きながら、ただ黙って耐えているしかなかった。

 戦時中に治安維持法で捕まった人は、社会主義者共産党員だけでなく、戦争抵抗者同盟、灯台社などのキリスト教徒の反戦運動家、満鉄調査部事件関係者(多数の南満州鉄道調査部員が憲兵隊によって検挙された事件、日本内地で活動の場を失った左翼転向者が多数就職していた)、大阪商大事件(旧制大阪商大は大阪市立大学の前身、戦時中もマルクス経済学についての研究会活動が活発で、リベラルな学風が強かった。教員、学生により「帝国主義戦争に反対し、マルクス経済学を研究する」非公然の活動を行なったため、100人が検挙された)、文化学院西村伊作、法政大学城戸幡太郎ら民間教育運動家、哲学者三木清共産党員を家に泊めたために検挙され、獄死した)など、その数は多数にのぼる。