雪道

<写真 今日は三九郎。子どもの火祭り>


 まだ蒸気機関車が走っていたころのこと。大阪から富山へ、夜行列車で向かった。大学山岳部の冬山は剣岳だった。三等車の硬い座席に座って眠るより、座席の下にエアマットを敷いて、そこにもぐりこんで寝るほうがよく眠れるから、乗客が混んでいないときはもっぱら、「三等寝台」と呼んでいた床に寝るのが、そのころのわれらのやり方だった。車内はスチームが通っていて暖かく、ただし床は下からの冷えがあったから、それをエアマットで防ぐ必要があった。朝富山駅で降りて、目的の登山口に入れば、重い荷をしょって、雪をラッセルしながら登ることになる。そのためには体力を貯えておかなければならない。
 夜中にふと目が覚めた。汽車は、田舎の駅に停車していた。鉄路の音が消え、静寂が車内を包んだ。雪が降っていた。ホームに降りる人も乗る人もいない。一つの外灯の光のなかに、降りしきる雪片が浮かび上がる。豪雪になりそうだった。そのとき作った一句がある。
     舞い降りて駅夫ばかりに雪積もる
 窓からのぞくと一人の駅夫がいて、その肩に雪が降り積もっていた。車内の人たちは寝静まっている。外はしんしんと降る雪。列車がゴトンと動き出すと、ぼくはまた「三等寝台」にもぐりこんだ。
 富山駅が近づいてくる頃、夜が開けた。窓を見ると、白一色の大平原が窓の外に広がっている。砺波平野だ。雪原の彼方に、白々と雪にまみれた寒村が見えた。その村へ鉄道線路をまたいでまっすぐ一本の道が伸びている。すべては雪に覆われていたが、長く伸びる道らしい直線は識別できた。ふと目に留まったものがある。その道を線路の方に向かって一人の男が歩いていた。広がる白の世界の中に一点、動くものはその人だけだった。村を出て雪原を歩いてくるその人、どこへ行くんだろう。どこに向かって歩いているんだろう。ただそれだけのことだったが、人間の寂寥感が心にしみた。

 昨日、安曇野を南北に貫く広域農道を車で走っていた。交通量の多い主要幹線道路だから、路面の雪は融けていた。道路は片側それぞれ一車線で、歩道は一部分あるが、歩道のないところのほうが多い。道をはずれると一段下がった雪の田んぼに落下する。この道路は歩行するにはあまりに危険で、歩く人はめったになかった。ところが一人の老婆が、両手に荷物をさげて歩いている。その人もぼくと同じく南に向かっている。どこへ行くんだろう。家に向かっているのだろうか。その人は道路の右側を、次々やってくる対向車をよけるように、路側の白線の上あたりを歩いていた。これは危ない。声をかけて車に乗ってもらおうかと一瞬思ったが、次々に車がやってくる。停車できる状況ではなかった。ぼくはその人を追い越して、前へ進まざるをえなかった。しばらく行くと、今度は自転車を押しながら歩いているやはり高齢の女性がいた。その人も前から来る車に身を除けながら、危険な歩行をしていた。この道路で歩行者を見るということはめったにない。歩道も路側帯もない、こんな交通量の多いところをどうして歩いているのか。
 そう思った瞬間、すとんと合点がいった。雪のない道はここだけなのだ。日常的に使っている道路は雪が積もっている、通るにはここしかない、と判断したのだ。買い物に出かけて、手にそれを持ち、家まで帰る。この道を使うしかなかった。
 村にはかつて小さな商店があった。遠くまで買い物に行かなくてもよかった。ところが今は村の商店はとっくに消えてなくなっている。買い物は大きなスーパーまで行かなければならない。
道を行くと、さらにまた一人の老人が道路を歩いていた。今度は男性だった。
 雪道を避けて、とぼとぼ歩いている老人がいる。それは一つの現象である。その現象の裏には寂しい現実がひそんでいる。その現実を考えていくと、行き着くところがある。それは政治なのだ。
90億かけた新庁舎は着々と建設が進み、その周辺の道路と歩道は美しく整備されてきている。