臼井吉見の大河小説「安曇野」から<2>

 

 映画監督の三谷幸喜が、合戦モノではなく、会議モノを作りたいと書いている。10歳のときに見たアメリカ映画「十二人の怒れる男」にワクワクしたというから、小学校5年生でこの映画を見ていたのだ。
 時代劇は合戦ものが多い。歴史は戦争で決まっていくように思える。しかし、三谷は歴史は会議の連続だと言う。時代は会議で動く。その第一弾に映画「清須会議」を制作した
 国会、県議会、市議会などの政治にかかわる会議が決定するもので、社会システムは動いている。企業の中にも各種会議があり、学校にもいろいろな会議があって、ことを進めていく。国では最近、特定秘密法案が可決された。これが今後どうなっていくか。
 多数を取った集団が会議を牛耳る。権力をもっている長が議事を左右する。自分の意見を胸に秘めたまま、力関係で動いていく人がいる。
 会議は行なわれるが、一応手続きを踏んだというアリバイになっている偽似民主主義が多い。会議は踊る。

 臼井吉見の小説「安曇野」の第五部に、戦争を終結させた会議のことが書かれている。

 「はるか後年になってわかったことであるが、ポツダム宣言を受諾して、降伏するか否かを決する戦争最高指導者の御前会議が、八月九日午後十一時五十分開会されたのに、東郷外相、平沼枢府議長、米内海相の受諾側と、阿南陸相、海津参謀総長、豊田軍令部総長の拒否側とが、三対三で対立のまま、動きがとれない。会議に出席していた内閣書記官長迫水久常の手記によれば、外相の受諾原案の説明が終わると、陸相が真っ向から反対して、
 『一億、枕を並べて倒れても、大義に生くべきなり。あくまで戦争を継続せざるべからず。充分いくさをなしうるの自信あり。米に対しても、本土決戦に対しても、自信あり』
と論じたてると、参謀総長も同意見なる旨を述べる。枢府議長と海相は外相案に賛成する。軍令部総長陸相らに同意した。時刻はすでに十日の午前二時を過ぎている。鈴木首相は、
 『議を尽くすことすでに数時間、なお議決せず、しかも事態は遷延を許さず、かくなる上は、はなはだ恐れ多きことながら、これより私が御前に出て、おぼしめしをお伺いし、聖慮をもって本会議の決定としたし』
と発言、天皇の前に進み出た。天皇は、首相に座に戻るよう言い、こう発言した。
 『それならば、自分の意見を言おう。自分の意見は、外務大臣の意見に同意である。念のため理由を言っておく。大東亜戦争が始まってから、陸海軍のしてきたことをみると、どうも予定と結果がたいへんに違う場合が多い。いま陸軍、海軍では、先ほども大臣、総長が申したように、本土決戦の準備をしており、勝つ自信があると申しているが、自分はその点について心配している。先日、参謀総長から九十九里浜の防御について話を聞いたが、実はその後、侍従武官が実地を見てきての話では、総長とは非常に違っている。防備はほとんでできていないようである。また先日、編成を終わったある師団の装備については、参謀総長から完了の旨の話を聞いたが、実は、兵士に銃剣さえ行き渡っていないありさまであることがわかった。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか。自分は非常に心配である。あるいは、日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができるか』
 天皇の言葉はまだ続き、参列者のある者は声を出し、ある者は声を殺して泣いていたと、迫水手記はしるしている。」

 この会議は8月9日午後11時50分開会であったが、その日の午前11時02分には、長崎市に二発目の原爆が投下されていた。会議の最中にも、戦場では人は死んでおり、無差別爆撃の下にいる市民も死につづけていた。にもかかわらず、戦争続行を主張する陸軍大臣らによって決断できず、翌日2時になって、鈴木貫太郎首相が天皇の意見を聞いたのだった。

会議は歴史を動かす。しかし、会議に参加している者たちは、自己や、自己の派閥の立場に拘束されて、大局を見ず、未来を予測することができない。