歴史と民主主義<4> 考えを変えられない「悲劇」

 自動車教習所で、免許を取るための講習を受けると、「だろう運転」について教えられる。「相手はよけるだろう、相手は曲がるだろう」と、「大丈夫だろう」の楽観予測をして事故を起こすことが多いからである。走り出すと、「相手はよけないかもしれない、まがらないかもしれない」という危険を予測する意識が抑制される。
 これまでうまくやってこれた、安全にやって来れた。今後もそれでやっていけるだろうという意識が強く働く。
 大丈夫だろうと、バカスカ巨大投資をしてバブルがはじけ、破綻した大企業があった。「原発神話」を信じてフクシマ事故が起こった。そして今なお原発依存から脱却できない政治経済のトップリーダーたちである。
 かつての大戦においては、これは危険であると、のりにのる戦争推進体制に反対する意見を持つものは牢獄につながれ、小林多喜二のように虐殺された人もたくさんいた。
 政治や軍部の中枢においても、非戦論があった。陸軍と海軍のトップリーダーの考え方が違っていた。しかし、いったん走り出した国家の巨大な動きは、海軍トップの異論も聞き入れられなかった。もし矛を収めることが早期にできたらどうなったか。ポツダム宣言を早く受け入れていたら、ヒロシマナガサキの原爆投下は避けられた。ソ連の参戦を防ぎ、「満州」開拓民の悲劇、シベリア抑留強制労働は起こらなかった。もっと早く戦争終結の決断をしていたら沖縄戦も起きなかった。それは同時に、侵略されている国にとっても、被害を小さくすることにもなっただろう。朝鮮半島の国家の南北分断もなかったかもしれない。

 国家、地方行政、企業、政治集団、およそ集団という集団においては、従来からの考えを変えることがなかなかできない。
 考えを変えるということが難しいのは、変えることを邪魔する観念が働くからである。
○考えを変えるのは、メンツにかかわる。
○考えを変えるのは、敗北することである。
○考えを変えるのは、卑怯である。
○考えを変えるのは、体制に逆らうことである。裏切りである。
○考えを変えるのは、いくじなしである。
○考えを変えるのは、恥ずかしい。恥である。
 いろいろな意識が働いて、考えを変えることをあきらめ、流れに押し流される。

 板倉聖宣さんが、「民主主義は、すべての人々が納得すざるをえない真理の体系としての科学を生み出して、ヒューマニズムを確立した。それが、仮説実験授業という私たちの認識論=教育理論を生み出した」と述べている。板倉聖宣さんの「仮説実験授業研究と実践」は50年にわたる活動である。
 仮説実験授業では、「これはこうである」と教えない、教えずに生徒たちに考えさせ、予想を出させ、仮説を立てさせて討論させる。そして実験する。その過程で、予想はいくらでも変更してよい。
 板倉聖宣さんはこう述べる。
 <仮説実験授業では、授業の最初に問題を出して予想してもらいますが、その予想は討論しているうちに変えたくなったら変えてもいい。ところが初めてその授業を受ける子どもの大部分は「途中で予想を変更するのはずるい」と考えています。予想を変更することに抵抗を感じます。>
 だから、予想を変えたいが変えるのはよくないと葛藤する。ところが思い切って「ぼく予想を変える」と発言する子が出ると、後に続く子が次々生まれる。
 <科学研究では、予想・意見を変更することはずるいことでも何でもありません。自然科学では、討論の間にいろいろもっともそうな指摘が行なわれれば、予想・意見を変更するのが当たり前になっています。みんなが「どんな論理や実験結果が現れても、自分の最初の意見を変えない」などということになったら、科学の進歩は止まってしまう。自分の予想に反する実験結果を知り、すぐれた意見を聞いたら、すぐにそれを取り入れる人々がいたからこそ、科学は進歩することができたのです。科学研究というものは、新しい発見や議論によって人々の意見・予想が変化することを前提にして進歩してきたのです。だから仮説実験授業では予想変更を認め、奨励さえしているのです。私は、仮説実験授業をやってみんな予想変更できるようになることは素晴らしいことだ、と思っています。>

 そして板倉さんは、「浮動票」の人たちの存在を評価する。何が何でもこれが正しいとして頑固に変えない人ばかりでは社会は変わらない。浮動票があるから世界が変わる。科学というものは年がら年中意見が変わる存在なんだと。