脱学校教育



 朝のウォークから帰ってきたら、
 「不登校の子を沢登りに連れて行ってる高校の先生、やってるよ」
と家内にせかされて、テレビを見た。
 富山県立山町の高校の先生が不登校の生徒らと沢登りだ。すごい。立山町というと、立山剣岳など北アルプスの峰々に、常願寺川、称名川、黒部川というアルプスに発する渓谷がある。頂上に立っている生徒、笑顔がたくましい。限界を超え、自分を超えていく姿だ。成瀬先生という先生はアルピニスト、クライマーのようだ。
 教え子の一人は高校を出て社会人になった後クライマーになり、先生と一緒に登っている。成瀬先生が称名の滝に挑戦しようと提案し、チャレンジする。称名の滝は、弥陀ヶ原からも見える大滝で、350メートルの高さから落下する。第一段は126メートルある。
 ザイルでつなぎあった3人、滝のサイドの岸壁をよじ、滝しぶきを浴び、水圧をくぐりぬけ、スリップの危険のある水ごけを取りのぞきながら、登り続ける。最後のピッチは教え子がザイルのトップになった。

 映像を見ていて、高校生と紀伊山地沢登りをしたことを思い出した。十人の高校生企画だった。半数が不登校の子だった。十数年前のことだ。林業家の幸弘さんの山小屋の炭焼き小屋に泊まった。野性人幸弘さんはマムシをつかまえてきて、くるくる皮をむき焼いてみんなに食べさせた。
 沢のほとりでキャンプファイアーをして歌を歌った。そこへまたまた幸弘さんが現れ、火を見つめながら自分の人生を語ってくれた。幸弘さんも中学校時代、学校へ行かなかった。高校生年代、彼は全国放浪の旅に出た。
 炭焼き小屋に泊まった十人、翌日は沢登りだ。水の中を歩き、小さな滝場の岩をよじる。彼らにとって初めての三点確保を教える。登るにつれ、流れが細って最後に水は消えた。子どもたちは源流に至るおもしろさを味わったようであった。

 夏の沢登りはすばらしい。これを経験すると忘れられなくなる。地下足袋を履いて、時にワラジを付けて、日に熱せられた河原の石をふんでいく。切れそうに冷たい流れに浸かりながら渡渉する。ルートを探りながら登っていく。両岸が岩壁になり、その間を急流が流れるところは、岸壁をへつる。横へ横へトラバースしていく。深い淵、トロの深さはどれぐらいあるか、透明な水底をのぞき込む。魂がひやりとする。シャワーを浴び滝をよじる。滝を越える。支流が入り込んでくる。巨岩が行く手をさえぎる。
 若き日、黒部川の上の廊下に数年に渡って挑戦した。支流の雪渓がまだ残っていた。山岳会仲間の北さんと二人、完全遡行・完全下降をめざした。高まきをしないで、沢の底だけのチャレンジだ。ザックをかついだまま、淵を泳ぐ。途中何度も進行を阻まれた。幕営し、火を焚き、谷底から星空を眺める。森と沢の気を体感する、すがすがしく、清冽無比。黒部川上の廊下との別れは、中学時代の教え子、雨包と中の二人との完全下降だった。

 「不登校」という言葉には違和感がある。あまり適切とは思えない。「登校しない」という言い方、学校に行かないことを不当とするニュアンスを感じる。登校する義務があるという価値観を感じる。以前は、「登校拒否」という言葉があった。これは、「拒否」という生徒の側の意思を感じる。
 新しい教育のあり方として、学びの選択肢がもっとあってよい。ホームスクールの概念も生まれている。既存の学校の枠を越えたシステムがもっとフリーに構想されてよい。