飯館村のワンちゃん


 飼い主のおばあちゃんが帰ってきた。犬は狂喜して、おばあちゃんに飛びつく。おばあちゃんは、愛しいワンちゃんの頭を抱くようになでつづける。ごめんよ、ごめんよ。犬小屋の周りには屋根から落ちた雪が凍っている。ワンちゃんは鎖でつながれている。ばあちゃんは、持ってきた温かい餌を、ワンちゃんのステンレスのボールに入れてやった。たくさんの量だ。ワンちゃん、お腹こわさないかなあ、テレビを見ているぼくは思う。ばあちゃんは、一週間に2回、餌を持って帰ってくる。犬小屋の前に置いてあった飲み水入れのボールはすっかり凍結していた。その氷の一部が円くへこんでいる。ワンちゃんが水を飲もうとして氷をなめた跡だった。
 あれからもうすぐ3年になる。ワンちゃんの腰の辺りを見て、ばあちゃんは思う。やせてきたなあ、と。在宅時間が過ぎて仮設住宅にもどるとき、ばあちゃんはドッグフードをボールに入れてやる。三日分ほど、たっぷり入れてやる。ばあちゃんが去っていくとき、ワンは察知してばあちゃんから隠れるように物陰に行く。別れはせつなく、つらい。悲しみをこらえて、ワンちゃんは、ばあちゃんの顔を見ないようにして、ばあちゃんを送り出す。ばあちゃんは涙を流しながら、我が家を後にして、仮設住宅へ帰っていく。犬は一緒に連れて行くことができないのだ。
 テレビ局の取材メンバーが、その夜、ワンのボールに餌を食べに来るネズミを映していた。たくさんのネズミがやってきて、ドッグフードをくわえて運んでいく。一晩で餌は3分の1に減る。朝になってワンは残りの餌を食べる。ワンちゃんがやせるのもそれが一つの原因だった。
 飼い主の去った夜、ワンちゃんは空に向かって遠吠えをする。長く長く夜空を切るように、ばあちゃんにとどけとばかりに首をそらして遠吠えをする。犬の祖先はオオカミ。オオカミは群れの生き物、仲間といつも暮らしていた。犬も仲間や、人間家族と一緒に暮らしたい。犬は孤独に耐えられない。このワンちゃんの孤独な遠吠えは、悲鳴のようだった。
 映像は、福島原発事故の被災地、飯館村のひとつの光景である。
 いつまで続くのか。家族を奪われ、暮らしを破壊され、ふるさとをずたずたにされ、孤独を強いられている犠牲者たちが今日も押し付けられた苦難のなかにいる。
 常に常にしいたげられる者がいて、常に常に傍観し安穏と生きる者たちがいる。