小説「復活の日」(小松左京)

 

 

   

    「復活の日」(小松左京)を読むと、かつて観たグレゴリーペッグ主演の映画「渚にて」を思い出す。第三次世界大戦が勃発し、核爆弾北半球の人々の大半は死滅した。生き残ったアメリカ海軍原子力潜水艦は、放射線が比較的軽微なオーストラリアメルボルンへ逃げる。しかしそこにも放射線の脅威は忍び寄っていた。南半球の滅亡も避けられない。市民は逃げ延びることを選択せず、自宅での安楽死を望み、残りの人生を楽しむ。原子力潜水艦乗組員は、オーストラリアで被曝して死を迎えるよりも、故郷での死を望み、アメリカに帰還すべく艦を進め、乗組員それぞれを故郷の地に送り届けていったのだった。一方「復活の日」は、きわめて微細に核戦争と人類の滅亡という災厄を紡いでいる。13世紀のペストで、ヨーロッパの人々は半分になったときも、生き残ったように、誰しもこの災厄がいつかは終わると考えていた。カミュは小説「ペスト」に描いた。ある日、ネズミの死体が見つかり、それが日を追って増えていき、ついに人間に感染した。街は封鎖され、街から外へ出ることができなくなる。ペストと闘う人たちの物語、そして人々はペストに打ち勝つ。

    スペイン風邪で2000万人が死んだ歴史もあった。そのときも人は生き残った。二つの大戦、地震、大洪水、飢饉で死者が多数出た。だが人類は生き残った。ついに人類は自らを滅ぼす核兵器を生み出した。その核戦争でも生き残ると考える人がいる。しかし崩壊が限界を超えると、人間社会を支える文明のあらゆる要素が逆に文明解体の方向に作用する。それが「種の滅亡」につながることを過去の歴史が示している。

    小説「復活」は描く。ついに核戦争が起きた。都会も工場地帯も火の海になり、森は焼け、暴動、略奪、殺戮、恐慌状態が起きた。日本では8千万人が死んだ。国々は無政府状態におちいった。世界は滅びの道をまっしぐらに進む。

    一箇所、雪と氷、酷烈な寒気の最終大陸、南極に生き残った人々がいた。

    「マリウスはピアノを弾いた。滅びた世界の、懐かしい歌を。世界のあらゆる国、あらゆる民の歌を。メロディの背後に、失われた人間の世界と生活が立ち上がってくる。地中海の海や山、アルプスの雪の夜のポルカ、セーヌの畔の抱き合う恋人たち、ニューヨークの喧騒、ロシアの野に響く農民の歌声、南米ガウチョの歌。

なぜ、あんな優しい世界が、滅びなければならなかったのか。」

 生き伸びていた南極観測隊の人々の言葉、小説は次の文で終わる。

 「明日の朝、私たちは北に向かって発つ。“死者の国”にふたたび生を吹き込むべく。北への道ははるけく遠く、“復活の日”はさらに遠い。」

 映画「渚にて」は、世界の滅びに殉じていく。小説「復活の日」は、生き伸びた少数の人たちによる人類復活への闘いの始まりで終わる。