新船海三郎君が、先日、彼の近著を贈ってきた。まったく彼の意欲、エネルギーに感心する。その書名は「翻弄されるいのちと文学」、副題に「震災の後、コロナの渦中、『戦争』前に」とある。
海三郎君の文章の一部をここに。
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(日中戦争の時)二十歳で応召し、いきなり中国人青年を刺突させられた井上俊夫は、その犯罪意識を生涯背負って生き、詩を書いた。老日本兵井上は戦争論でこう言っている。
――「熾烈凄惨な戦場に立つと異常心理に取り付かれ、狂気に近い状態になって残虐行為を働く,と言われるが、自分はそういう解釈を拒否する。
日本人は兵士になってもどこまでいっても善良な市民であった。それが証拠に、上官に反抗して殺傷に及んだものはごく少数だし、軍隊内の反乱など一度もなかった。では、なぜ兵士は残虐行為を働けたのか。
それは兵士の背後に「大日本帝国」があったからだ。兵士の所属する帝国が敵兵をせん滅せよと命じていたからだ。恐ろしいことだが、兵士は残虐行為がもたらす愉楽を覚えてしまうと、病みつきとなり、何度でもやりたくなってくるのだ。殺人だけではない、略奪しかり、放火しかり、強姦しかりである。」
戦争の魅惑とかというのは、天皇の股肱である大日本帝国の兵であることによって保障されたものである。問題の根は、天皇とその権威。権力を笠に着た軍首脳にこそある、と井上は指弾した。――