日本軍のシベリア出兵

 

 

 福田正夫という詩人がいた。明治26(1893)年生まれ、昭和27年他界。学校教員を勤めるかたわら詩作し、民衆詩派の拠点を作った。彼の仲間に白鳥省吾がいた。

 明治から昭和にかけて、幾多の戦争があった。詩「一つの列車とハンカチ」は、1918年(大正7年)の日本軍のシベリア出兵による戦争を詠んでいる。

 

 

      一つの列車とハンカチ

 

  一つの列車が

  たまぎるようにバンザイをわめきながら

  シベリア出征の兵士をのせて

  通過してゆく瞬間

 

  窓から振るハンカチ

  沿道の人びとは茫然と見送る

  ひとりの老いた車夫が

  バンザイと叫んだ 帽子を振った

 

  私の魂はおどろく

  なんという悲壮だ

  まるでヤケのように呼ばわる彼らの叫喚

  死にに行くのだ

     死にに行くのだ

  私は流れてくる感激に

  蒼然としてあわだち

  次いで来たものは満眼の涙であった

  ああ、なんじらよ、

  私はバンザイを叫ぶにはあまりにすべてを知りすぎた

  許せ

  私は涙をもって卿らを送る

 

 

 1917年にロシアに十月革命が起こり、欧米とともに日本も革命への危機感を抱き、東シベリアに親日国家を樹立しようという意見が起きた。1918年、日本にシベリア出兵論が台頭、一万二千名がシベリアに出兵した。しかしこの戦いは失敗し、日本軍の死者は3500人に及んだ。