70年ほど前の「天声人語」

 

  

     朝日新聞への投書

 私は、1955年高校三年生の時から大学山岳部時代まで、山行を山日記に記録していた。今は古びた山日記、そこに私は朝日新聞天声人語」の切り抜きを一片はさんでいた。それは黄色く変色し、活字は驚くほど小さい。1字が7ポイントほどだ。当時の新聞はこんなに小さな文字だった。この頃の「天声人語」の1行は15字、行数は54行もあった。私の今の視力では文字を読むのに苦労する。現在の新聞は活字も大きくなり、9ポイント活字で、「天声人語」の行数は35行だ。65年前の新聞の「天声人語」は780字、今の新聞では498字、今はぐんと短くなっている。現在の新聞の全ページを見ると、なんと広告の多いことか。記事は激減している。原因は、新聞購読数が減っているからだろう。読者が減れば新聞社の経営も厳しくなる。さらに書籍を読まない人も増え、書店の経営が難しくなり、閉店が増えているという。正確な深い知識、情報を得ることが必要とされている現代、軽薄で欺瞞に充ちた情報が跋扈する。きわめて危険な状況だと思う。人類の進歩はどこへ行ったか、世界情勢は、今や瀬戸際に立っている。

 では、70年ほど前、私がその「山日記」に挟んで残していた「天声人語」、それはどんな内容だったか、全文を転記する。

   「天声人語」(1950年代 某月某日)

 オーストラリアのカウラという町に不思議な「日本人捕虜の墓地」のあることが初めて知らされた。軍人軍属約四百人の死者の名前が全部“偽名”で、本名は一人も分からない。従ってその遺族も全く不明という奇怪な話である。その地に今度外務省の手で「日本人戦争墓地」がつくられるという。▼戦争中の昭和十九年八月、カウラの「第十二B収容所」にいた約千人の日本軍将兵が暴動を起こした。野球のグローブや毛布で鉄条網をよじのぼり、食事用のナイフ、フォークを武器にして暴れ、収容所を焼き払った。脱出した者も、首を吊ったり列車に飛び込んで果てたりしたという。▼それは「生きて虜囚のはずかしめを受けず」という“戦陣訓”そのままの“集団自殺”だった。捕虜の汚名を恥じて、収容所でも一人残らず偽名だったという。いわば“偽名戦士の墓”で、文字通りアンノーン・ソルジャーズ(無名戦士)の墓である。▼ソ連の墓地には何回も遺族が墓参に行き、父や子や夫や兄弟の墓が確かめられた。ニューギニアの密林や、南海に果てた人々の遺骨はほとんどつきとめられない。が、本人たちが本名を秘めたために、死者の素性も遺族もわからないのは例外中の例外であり、悲劇中の悲劇である。▼あのころは「カウラの捕虜」に限らず、国民の多くが“戦陣訓”的な絶望と異常な心理にとりつかれていた。が、核兵器が“ダモクレスの剣”のように、人類の頭上に毛髪一本で吊り下げられている現代人も、それに似た異常心理の“とらわれ人”だと言えなくもない。▼核戦争がひとたび起こったら、米ソ両国民はもとより、巻き添えを食う地球上の人類は、カウラの無名の捕虜たちと同じように、名も知れぬ何十億の遺骨と化すのだ。その時はもはや“墓地”をつくる人もなく、もちろん“遺族”もなく、地球がそのまま“巨大な墓地”と化す。▼それなのに米英仏ソは果てしない核兵器の積み上げ競争を続け、中共核兵器を造ろうとしている。最高の“賢者”をもって自任する大国の指導者たちが、反人間的な最大の愚を犯しているのは、最悪の異常心理で、現代の狂気のナゾというほかない。