戦場体験を考える

 

 河合隼雄19282007)が、国際会議に出席するために北京に行った時、日本人女性の留学生から一通の手紙を受け取った。手紙は、彼女の苦悩を伝えていた。

 「私は中国人の学生と親しくなるにつれて、率直な意見を聴くようになりました。

『あなたと親しい間柄だから言うけれど、なぜ日本人はあのような残虐行為ができたの?』

 そう言って、日本が中国を侵略した時の具体的な残虐行為を詳細に聞かされ、私は、いたたまれない気持ちになります。先生、どう応えたらいいですか。教えてください。」

 河合隼雄はこの手紙を読んで、自分もこの問いを引き受けていかねばならないと思う。

 大江健三郎は、この手紙にこう応えた。

 「このような問いのなくなる時を私は恐れる。それがなくなる時は、関係性の断絶するときであり、隣人として認めなくなることである。」

 鶴見俊輔は、こう応えた。

 「人類は、また日本国民は、こういう不正義を行ったその事実から、新しく未来を探し求めていこうとすることだ。国家は進歩の積み重ねであるよりも、人類滅亡である方が予測としては確かだ。絶滅への道をたどる人類が、その途上でその時なりに互いに助け合い、幸福を実現するにはどうしたらいいのか考える、そして最期をどのように迎えるのか考える、これは倫理学の課題だ。

 私は戦時中、海軍の軍属になり、軍関係の新聞をつくる仕事をしながら、人を殺したくない、殺すよりは自分が死ぬことを願った。人を殺す寸前まで来たが、好運によってそこから逃れ出ることができた。もし命令が下ったら、私はそれを退けるだけの勇気を持っていたか。それは敗戦後くりかえし自分に向ける問いとなった。

 回りの大集団が正義とすることに反することを自分一人で考える時、自分は悪人だという感情が付きまとう。自分は悪人として生きようと思い定めたことが、逆理として私を支えた。

 倫理を考える時、一つの「正義」の大道があり、その道を自分は歩んでいると考えるのには危うさがある。正義を疑いなく信じる正義家を私は信じない。自分の生きる倫理には逆説が含まれている。ペーターギュルテン(ドイツの強姦殺人犯)のように、自分はどうしようもない人間だ、殺してくれという判断が、倫理を考える時の自分に訴える力を持つ。」

 戦場からの手紙「蟻の自由」を、古山高麗雄は書いた。彼は軍に召集されてカンボジアラオスの戦線に送られた。

 「兵隊はよく、自分たちは虫けらだと自嘲する。兵隊がそう言う時、おれたちは愚弄されながら死んでしまうのだという気持ちで自嘲する。兵たちは小さくて軽くて、遠い所に連れて来られて、帰ろうにも帰れない、虫けらみたいだと思う。‥‥行軍中、ぼくは泣いた。泣きながら歩いた。灯火がみな十字架に見えた。何百何千の十字架が夜空に輝いていた。ぼくは死にたい。ぼくはアリ。戦争する気のないアリだ。」