「マーシャル諸島 核の世紀」 2

 

 

 人類初のアメリカの水爆実験は、マーシャル諸島で1952年に行われた。ニューヨークタイムズが、アメリカ軍兵士の目撃談を伝えている。その一部を要約。

 

 「爆発地点から60キロ、自分は艦船の上にいた。全員防護服を着て、爆発地点に背を向けて目を閉じ、両腕で頭をおおった。午前7時14分、一人の兵士が祈っていた。

 爆発、6秒後、太陽の10倍もの閃光、背中に激しい熱波を感じた。黒い眼鏡をかけていたが、閃光から逃れることができなかった。爆発地点を見た。幅3キロメートルもある炎が空中に立ち、上空8000メートルにまで立ち上がっていった。数億トンの土が空に向かって噴き上げられていくのが見えた。20秒後、キノコ雲が現れた。世界全体が燃えているようだ。島は6時間燃え続けた。ヤシの樹が生えていた島は消滅した。」

 ヤシの木が生え、漁業で島民は平和に暮らしていた島は消滅させられた。この実験に対して、日本の科学者はコメントを出した。その一部。まずは理論物理学者の三村剛昴氏。

 「人類は言語に絶する悲惨な運命に遭うような気がする。」

物理学者の坂田昌一氏。

 「悲しむべきかな、人類は破滅の方向に進んでいる。」

 同じく物理学者の茅誠治氏。

 「水素爆発に平和利用の道はない。絶滅のみ。大変なものができた。」

 

 一方ソ連は、1953年、最初の水爆実験をカザフ共和国、セミパラチンスクで行った。製造に携わったサハロフ博士は、爆発地点から35キロ離れたところで観察していた。

 「地平線上に閃光が走り、猛烈な勢いで広がっていく白い球が地平全体を照らした。私はゴーグルをはずすと、一瞬何も見えなかった。砂塵を巻き上げて広がっていく巨大な雲。雲はやがて地面から離れ、オレンジ色の閃光を放ち、渦巻きながら上昇し始めた。キノコ雲が現れ、砂塵が舞い上がり、広がっていった。耳はガーンとなり、全身に強い衝撃を受けた。ゴーッという不気味な音、やがて雲は青黒い色に変わっていき、空を覆った。」

 カザフの核実験の前に、実験場の南東地区にあったカイナール村の男性42人が、避難のトラックに乗せられることなく、村に取り残された。爆発が終わった後で、彼らは軍のトラックで運ばれ、30キロ離れたところで身体を検査された。残されていた男たちの放射線量は、毎時210~240レムだった。1990年までに村の42人のうち1人、カラウル村の40人の内2人が生き残っただけで、残りの男たちは白血病やガンで亡くなった。

 ソ連の水爆実験が行われる1か月前、アメリカのオッペンハイマー博士は、地球、人類の危機を警告した。

 「われわれは、ビンの中の2匹のサソリにも例えられよう。相手を殺すことができるが、自分もまた生命をかけなければならない。」

 イギリスの哲学者バートランドラッセルは、「原子力と世界平和」の記事を日本の新聞に寄稿した。

 「核戦争を抑え得ないならば、人類とすべての生物の絶滅をもたらすだろう。人間は武装国家に組織されて以来、ただ一つの原理に支配されてきた。それは、‘‘軍隊を敵よりも強大にせよ“ということであった。将来の核戦争は、勝利に終わるのではなく、相互の全滅に終わるのだ。

    敵の死よりも、自分の生存をより強く希望するようになったとき、人は戦争防止の手段に耳を傾けるようになる。万人は幸福を望んでいる。自らの幸福を望んでも、他者の幸福を望む心と一つにならない限り何の役にも立たない。」