2022-01-01から1年間の記事一覧

久しぶりで朝のウォーク

両ストックを突いて道に出ると、東の山から日が顔を出した。 昨日から、朝の散歩の距離を延ばしている。 稲刈りの済んだ田の中の道をゆっくり歩いていく。 今日は、快晴だ。 白鷺が田のなかに降りている。 久保田の桜の樹まで行って、そこから引き返す。 横…

「日日是好読」2

新船海三郎君は「日日是好読」(本の泉社)で、斎藤美奈子著「中古典のすすめ」を取り上げている。 「斎藤美奈子は文芸評論としてはめずらしく人気がある。本書は60年代から80年代にベストセラーになった48作を、いまも再読に耐えられるかどうかを、『名作度…

「日日是好読」から

先日、新船海三郎君が送ってきてくれた彼の近著「日日是好読」(本の泉社)を読んでいる。2019年3月から彼が書いてきた気ままな読書の気楽な書評集だ。なんと125冊の感想、書評。よくまあ読んだもんだ。よくまあ書いたもんだ。通勤電車のなかでは、もっぱら…

彼岸花咲く

今年も、庭の曼殊沙華が花開いた。十数本が固まって咲いている。 この花は彼岸のころに咲くから「彼岸花」とも呼ばれている。細い薄緑色の茎がまっすぐ地面から、二、三十センチぐらい伸びてきて先端に赤い花を開く。 十七年前、奈良県御所市に住んでいた時…

賢治の願い

賢治の「雨ニモマケズ」の詩が書かれていた手帳に、もう一つこんな詩が書かれていた。 「十月二十日」と題された詩。 この夜半 おどろきさめ 西の階下を聴けば ああ またあの子が咳をしては泣き また咳をしては泣いております その母の 静かに教え なだめる…

宮沢賢治、9月19日

賢治は家に肥料相談所を設け、訪ねてくる農民に肥料設計を書いてやった。それぞれの田には異なった条件がある。肥料設計は13項目からあった。それだけでも大変な作業だった。 賢治の発病は昭和3年の夏。12月に急性肺炎にかかった。 昭和8年9月19日、…

荒野・地球

二十数年前、五木寛之が「大河の一滴」で、こんなことを書いていた。 ☆ ☆ ☆ これから生きていく時代は、どういう時代なんだろう。 今この社会は乾ききっていて、もうひび割れしているのではないか。ぼくらの前には、戦後のような焼け跡、闇市が広がっている…

一枚の切り抜き

書類の中から、「天声人語」の切り抜き一枚がひらりと出てきた。昨年の7月31日の記事だ。読み返してみて、いろいろ思いが走る。 読みやすいように、その記事の体裁を少し変えてここに載せる。 天声人語 <断固たる意志 偉大なる栄光>。ロシア国歌の一節だ。…

手紙

部落解放同盟前委員長の組坂繁之さんの記事が、朝日の9月3日に大きく報道されていた。 「水平社宣言一世紀」という見出し、オピニオン記事だ。 新聞記事は紙面の限界があるから、記事内容がどうしても多くの割愛がなされて、言葉足らずになる。インタヴュー…

愛児を亡くした父の悲しみ

田中冬二は、1933年、満二歳の立子を亡くした。 愛児を亡くした父の、「寂しき夕暮」という詩は、哀しい。 この詩のタコチャンのところは、原詩では「takochan」になっている。 寂しき夕暮 かえらぬもの 夕暮れ フランスの旗のようなうつくしい夕暮れ 夕餉時…

戦争論 12

吉本隆明の「私の戦争論」。 アジア太平洋戦争回避の道はあったか。 「回避の道はあったと思う。当時の日本国の責任者、政府首脳が、アジアに植民地を持っていた欧米諸国の首脳よりも、もっと高度な視点をもち、そうして事態に対処していれば回避できたんじ…

戦争論 11

新船海三郎君は、これまでの世に出ている膨大な戦争文学を読み、「戦争は殺すことから始まった」という著書を出版している(「本の泉社」)。 「黙殺、忘却、無視‥‥は過去のことではない。現代日本もそうである。私たちは屑籠をあさってでも、引っ張り出して…

戦争論 10

高橋源一郎は、古山高麗雄の戦争小説を高く評価した。 「古山は、戦争という大きな物語を、小さな個人の物語に接続させることに生涯を費やした。」 1920年、植民地朝鮮の新義州で生こまれた古山は、京都三高に学び、1942年に軍に召集された。入隊した古山は…

戦争論 9

高橋源一郎が、「ぼくらの戦争なんだぜ」という本を8月に出した(朝日新書)。今読んでいる。 この本の中に、大岡昇平の小説「野火」についての論が長くつづられている。 戦争小説と言えば「野火」だ。「野火」は大岡昇平の経験にもとづいて書かれた。 「野…

戦争論 8

重田園江さん(明大教授)が、「戦争への悔恨をかみしめて」という評論を書いていた(朝日新聞8,23)。それはジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」につなげる想いである。 1945年の日本の敗戦後、戦地の日本人が出会った悲惨も、焦土と化した日本国内の…

戦争論 7

「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」など、兵士としての戦場体験を大岡昇平は書いた。 「戦争」という語り口の著書がある。そこにこんなことを書いている。 トルストイの「戦争と平和」は、ロシアが戦争に勝ったから書けた。私は負けた側から、戦争とは何かを…

戦争論 6

<堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」から> しばらくうとうとしていて、不意に鋭い汽笛の音で眼が覚めると、自分は明後日から、自分の家に帰るものではなくなるだと、気づかされた。 そうして、人間が自分の家へ帰るものではなくなるとなると、その先の方…

戦争論 5

この時季、テレビでは戦争特集の番組が多く、あの吉田満の記した記録「戦艦大和ノ最期」のドキュメンタリーを、再び見た。 満20歳、学徒出陣により海兵団に入団した吉田満は、予備少尉に任官、「戦艦大和」に乗艦した。 1945年、敗戦間際、戦艦大和に沖縄へ…

ムクゲの花

今日も、庭のムクゲの花、 窓を開けるとお迎えしてくれる。 木全体に花をつけ、朝開き、夕方に落ちる一日花。 白花の樹は、すがすがしい。 紅花の樹は、あでやか。 まわりは白く、真ん中だけ紅いのもある。 生命力が強く、一本の木があると、その周囲に、土…

ランの一周忌

ランの一周忌です。 去年、暑い暑い日つづいたとき、ランは水も飲まず、玄関の土間に横たわり、静かに逝きました。16歳でした。 庭の、樹々の茂るところに、ランを埋葬してやりました。 お墓の上に、大きな木材で墓標をつくってやりました。 その墓に、「ラ…

戦争論 4

朝日新聞の8月12日、政治学者豊永郁子氏の寄稿文が一面全部に載っていた。 タイトルは「ウクライナ 戦争と人権」 見出しは、 犠牲を問わぬ地上戦 国際秩序のため容認 正義はそこにあるか この原稿の最後は、次のような文章でしめくくられていた。 ☆ ☆ ☆ 「最…

戦争論 3

加藤陽子さんは、「歴史の誤用」というものを指摘していた。 「政治的の重要な判断を下す人は、過去の出来事について、誤った評価や判断を導き出すことがいかに多いか。」 アーネスト・メイは、アメリカのベトナム戦争について研究した。 「なぜこれほどまで…

戦争論 2

小学生のころ、友だちが、「日本は無条件降伏や」と言った。「無条件降伏って、なんや」、ぼくは聞いたが、だれも知らない。先生からも説明がなかった。 1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国の出したポツダム宣言は、戦争終結の条件を示したものだった…

戦争論 1

ルソーが戦争論を書いていたのを知らなかった。加藤陽子(東大教授)の著書「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)で、加藤はこんなことを書いている。 「戦争のもたらす根源的な問題は、ルソーが考えた問題でした。ルソーの論文は日本語訳がな…

一つの歌

2002年、加美中学で教えた武田君が、ぼくが中国武漢大学に赴任するときに一枚のCDを贈ってくれた。それは当時、彼がファンで追っかけをしていた長渕剛の歌う「静かなるアフガン」のCDだった。 ぼくはそのCDを武漢大学日本語科の授業で使った。CDデッキは町の…

昔の仲間からの手紙 2

あの遠き日々、矢田南中学の同僚、教育研究サークル「寺子屋」の仲間であった、障害児教育や学校演劇の脚本家で活躍した 森田博さん。 あのころ博さんは、学校にもってきたフィッシャーディースカウの独唱する「冬の旅」のレコードを職員室で、みんなに聞か…

昔の仲間からの手紙

二十数年前の、「学育研究会」の熱心な仲間であり小学校教員だった東京の雅実さんから、心温まる手紙をいただいた。 「なつかしいです。やっと分厚い小説『夕映えのなかに』を読み切りました。生徒とのすごい生き様を感じながら読みました。 私は小学校教員…

今オレたちは何をしているのか

1965年2月に、アメリカ軍が北ベトナムへの爆撃を開始して始まったベトナム戦争。今のロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見るにつけ、あの頃の反戦運動の大きな高まりを思い出す。 飯島二郎は書いていた。 「アメリカ軍は宣戦布告無しに、北ベトナムに、…

教え子からの手紙 4

小説「夕映えのなかに」のなかに書いた、重度の障害児ヒロシとサトシ、そのヒロシから卒業3年後にハガキが来ていた。書類を整理していて発見。 1字が2センチほどの大きさ、ぶるぶるふるえて、ゆがんだ字。左上から右下に降りて、左に曲がり、さらに字が大…

教え子からの手紙 3

小説「夕映えのなかに」の、加美中学卒業生、後にも先のもこんなオテンバいなかったいうほどの最高のオテンバだったヨッシーから手紙を受け取ったのは、ヨッシーが二十歳になった時だった。 手紙は、長かった。一部を引き出してみる。 「みんな変わったよー…