戦争論 8

重田園江さん(明大教授)が、「戦争への悔恨をかみしめて」という評論を書いていた(朝日新聞8,23)。それはジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」につなげる想いである。

 1945年の日本の敗戦後、戦地の日本人が出会った悲惨も、焦土と化した日本国内の人々を襲った苦難も甚大なものだった。

 重田さんは、戦勝国と敗戦国のその後について考えていた。戦勝国アメリカ、ソ連、中国、敗戦国の日本、ドイツ、イタリア。ロシアの前身であったソ連戦勝国だった。

今、その戦勝国ウクライナを侵攻している。

 

五木寛之氏は、私にとって本当の戦争はあの夏から始まったと書いている。敗者にとっては、敗戦から本当の戦争が始まるのだ。‥‥ 

ロシアを代表する作家、シーシキンは、次のような見方をしている。

戦勝国ロシアは、戦後もなお脱スターリン化がなされず、ソ連共産党の支配には、ニュールンベルグのような裁きもなかった。ソ連時代、数々の残虐行為があったが、それについてロシア政府は何の精査も謝罪もしなかった。スターリン時代からの虐殺や強制移住や、強制収容所での非道の実態は、今も事実を明らかにせず、不問に付されている。その背後に、秘密の諜報機関や特殊部隊がいて暗殺が行われていた。

このようなロシアがプーチンを生んだ。

 

 一方アメリカも、過去の戦争について、反省も謝罪もしていない。ベトナム戦争での枯葉剤散布も、ヒロシマナガサキの原爆も、一度も謝罪をしていない。」

 

 五木寛之はこんなことも書いていた。

 「ぼくにとって戦中戦後も気になる国はロシアです。ソ連兵に出会った原体験が私にはあります。

 ロシアという国には、ひじょうに強い反感と、ひじょうに強い愛着があります。大学時代、ロシア文学を学び、ロシア文化に強いあこがれを抱く一方、ソ連という国の政治のやり方やイデオロギーに抑えることのできない反発があります。ぼくは朝鮮のピョンヤンで敗戦を迎え、その後にソ連軍が進駐してきました。あっという間に家は接収され、着の身着のまま放り出され、難民キャンプに収容されました。ソ連軍の兵士はなんと野蛮な、なんと無教養な、なんと残酷な連中だろうと、恐れと憎しみが湧きました。

 ところが不思議なことに、ロシア人は妙に人懐こく、のんきで、おもしろかった。ある晩、兵営に帰っていくソ連兵の合唱が聞こえてきた。彼らは歌いながら夕闇の中に消えていった。

 ロシア人とはいったい何だろう。あんなに残酷で非人間的なことを平気でやりながら、彼らの歌はいったいなんだ。どうしてあんなに美しい歌が歌えるのか。」

 この文章を読んで、ぼくは日本軍の兵士を思った。中国、アジアに侵略した日本軍の犯した非道の数々。無辜の民を殺し奪い、捕虜を殺害した日本兵の悪行。彼らも、召集されるまでは、正義感があり、情け深く、愛ある人間であったのだ。

 「満州」ではその日本人の開拓民や日本兵ソ連軍によってシベリアへ送られ、極寒の地で強制労働を強いられ、たくさんの人が死んでいった。今もシベリアの大地には抑留された人の骨が眠っている。

 日本が引き起こした侵略戦争の結果、敗北を喫し、そこから非戦の思想を軸に、日本国憲法が生まれたのだった。