長渕剛「静かなるアフガン」

 

 

 

     2002年・2003年、ぼくは武漢大学に、妻と共に赴任し、日本語教員として中国の学生たちと暮らした。それは感動的な日々だった。

 武漢大学での授業用に、たくさんの音楽のCDや映画の録画を、大きなダンボール箱6箱に入れて、船便で送っておいた。

 大阪市立加美中学校での教え子、武田晃太郎君は、長渕剛のファンで、ぼくが中国・武漢大学の日本語教員として訪中する時、空港に見送りに来て、長渕の作詞作曲した「静かなるアフガン」のCDをぼくにプレゼントしてくれた。当時、アメリカはアフガンへの侵攻を行っていて、長渕剛は、コンサート全国公演の曲目にこの曲を加えていたのだ。

 その時、武田君は言った。

長渕剛は、コンサートの中で聴衆にこう語りました。

 『ぼくは3人の子どもをもつ父親で、アフガンやカンボジアで、地雷で足をふっとばされた子どもたちの無表情な目がTVで流されると、その子どもたちが、我が子や近所の子どもたちにリンクしてしまうのです。』と。」

    中国の大学で日本語を教える活動は、元日教組委員長や総評議長を務めた槙枝元文氏が立ち上げた「日中技能者交流センター」による日中友好の活動だった。武漢大学は中国の大学の一つで、キャンパスは広大、大学構内に山があり森があった。戦時中、日本が中国を侵略した時、武漢大学のキャンパスを日本軍は基地にした。キャンパス内のルーチャー山の上には、そのときに造られた日本軍のトーチカ跡が今も残っている。武漢を占領した日本軍は、桜の苗木を日本から100本取り寄せて、キャンパス内に植樹した。

    1945年、日本は敗戦、武漢の支配者は去った。が、桜樹は残った。「侵略のシンボル、桜は伐れ」の声が中国内で巻き起こった。それに対して、「桜の樹に罪はない、桜の花は春になると花を咲かせて、人々を慰めてくれる。桜を守れ」の声が上がり、結局、武漢大学の桜は生き残って、春になると見事な花を咲かせ、たくさんの人が花見に訪れる名所となった。その花見は今も続いている。あまりにもたくさんの人が花見に訪れるから、花見シーズンに大学構内に入るときには、入場料金を取っていた。

    ぼくは、日本から送ったたくさんの資料を使って日々の講義を展開した。そのなかに、武田晃太郎君からもらった長渕剛のCD「静かなるアフガン」をいれた。

 その日、武漢大学の日本語科の教室に、「静かなるアフガン」が流れた。その瞬間、教室は表現のしようのない空気に包まれた。ぼくは学生たちに涙を見られないように、学生に背を向けていたが、ぼくの涙は見抜かれて、学生たちも涙していたのだった。

 

  海の向こうじゃ 戦争がおっぱじまった

  人が人を 殺し合ってる 

  ‥‥‥

  ブッシュは でっかい星条旗を背に

  映画のシナリオを すげかえる

  悪とたたかう ヒーロー

   ‥‥‥

  アフガンの空 黒いカラスに化けた

  ほら また 戦争かい ほら また 戦争かい

  戦争に人道など ありゃあしねえ

  戦争に正義も くそも ありゃあしねえ

 

  ぼくらはテレビで 銃弾に倒れる兵士を見ている

  空爆で両足をふっとばされた 少女のひとみから

       まっかな血がしたたり落ちる

 

       日の丸と星条旗に ぼくはたずねてみたい

       戦争とゼニは どうしても必要ですか

 

       ヒロシマナガサキが 吠えている

       もう いやだと 泣き叫んでいる

 

  ほら また戦争かい ほら また戦争かい

 

       ああ はやくアフガンの大地に

       平和と緑よ やどってくれ

       あの少女のヒトミを こわさないで

 

       ぼくは祈る 静かなるアフガンの大地

       ぼくは祈る 静かなるアフガンの大地