戦争論 5

 

 この時季、テレビでは戦争特集の番組が多く、あの吉田満の記した記録「戦艦大和ノ最期」のドキュメンタリーを、再び見た。

 

 満20歳、学徒出陣により海兵団に入団した吉田満は、予備少尉に任官、「戦艦大和」に乗艦した

 1945、敗戦間際、戦艦大和に沖縄への出動命令が下り、護衛の飛行機がすでに一機もない中、米艦船に埋め尽くされていた沖縄に向かい、待ち受けていた米軍機約1000機の猛攻撃を受けて沈没した。吉田は頭部に裂傷を負ったものの死を免れた。

 戦後、満身創痍の吉田はその体験を書いた。その戦記を読んだカトリック教会神父は、手書き写本を両手に抱きながら、「繰り返し声に出してよみました」と言った。吉田は「自分の苦衷を汲み、共に進んでくれる人に逢えた」と、それがキリスト教への入信のきっかけとなった。

 彼の書き残した「戦艦大和ノ最期」は、出版され、読者に大きな感動をもたらした。

僕もこの書を読み、今の子ども、生徒学生たちに読ませたい、必読の書であると思った。

 吉田満は述懐していた。

 「私はいまでも、ときおり奇妙な幻覚にとらわれることがある。それは、彼ら戦没学徒の亡霊が、戦後日本の上を、いま繁栄の頂点にある日本の街を、さ迷い歩いている光景である。
 彼らが身を以て守ろうとした『いじらしい子供たち』は今どのように成人したのか。日本の『清らかさ、高さ、尊さ、美しさ』は、戦後の世界にどんな花を咲かせたのか。それを見とどけなければ、彼らは死んでも死にきれない。
 彼らの亡霊は、いま何を見るか、商店で、学校で、家庭で、国会で、新聞記事で、何を見出すだろうか。戦争で死んだ時の自分と同じ年頃の青年男女を見た時、亡霊は何を考えるだろうか。戦火によごされた自分たちの青春にひきくらべ、今の青年たちが、無限の可能性を与えられ、しかもその恵まれた力を、戦争のためではなく、社会の発展のために、協力のために、建設のために役立てうることをしんから羨み、自分たちの分まで頑張ってほしいと、精一杯の声援を送るだろう。

 もしこの豊かな自由と平和と、それを支える繁栄と成長力とが、単に自己の利益中心に、快適な生活を守るためだけに費やされるならば、戦後の時代は、ひとかけらの人間らしさも与えられなかった戦時下の時代よりも、より不毛であり、不幸であると訴えるであろう。」