戦争論 6

 

 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」から> 

 

 しばらくうとうとしていて、不意に鋭い汽笛の音で眼が覚めると、自分は明後日から、自分の家に帰るものではなくなるだと、気づかされた。

そうして、人間が自分の家へ帰るものではなくなるとなると、その先の方には何か凶暴な、まがまがしいようなものが、黒々と伏在するようになるらしい。

 「ははあ、これが戦争なんだな」

と思う。

 家へ帰り着いて、召集令状というものを見せつけられた。赤紙というだけのことはあって、へんに桃色がかった紙に印刷してある。

 つくづくと眺めてみて、「臨時召集令状」―― 

 臨時たあ何だ、人を招集しておいて臨時もないもんだ、無礼千万な、‥‥召集というからには天皇の名において発せられ、それで召されるのであってみれば、印刷ででも天皇の署名と印があるものだろう。そんなもの影も形もなく、「富山聯隊区司令部」とあるだけであった。生命までよこせというなら、それ相当の礼を尽くすべきものだろう。それは背筋が寒くなるほどに無礼なものだった。‥‥

 速達が来ていた。封を切ってみると原稿用紙一枚が入っていた。それに短い詩が書きつけてあった。

 

 

      応召の歌

  波よ お前を見ていると僕のようだ

  激しく打って行く

  ただ泡だけだ

  岩がある

  悲しい足音の砂原がある

  ああ 海を行こう

  ああ、山を行こう

 

 絶唱というのはこういうものだろうか。心臓の鼓動が速くなった。東北の寒い漁村の宿屋の囲炉裏に座って、「しばらくプルーストでも読んで」と言って別れた彼に、追い打ちをかけるように召集令状が来ていた。

 

    ☆  ☆  ☆

 

  ああ 海を行こう

  ああ、山を行こう

 ここから連想するのはあの歌。学徒出陣壮行会での悲壮な大合唱。

海行かば みずくかばね 山行かば 草むすかばね 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」