戦争論 10

 

 高橋源一郎は、古山高麗雄の戦争小説を高く評価した。

「古山は、戦争という大きな物語を、小さな個人の物語に接続させることに生涯を費やした。」

 

 1920年、植民地朝鮮の新義州で生こまれた古山は、京都三高に学び、1942年に軍に召集された。入隊した古山は、南方各地を転戦し、サイゴンで敗戦、捕虜収容所で刑務所生活を送った。

 古山は日本に帰還、小説を書き始めるのは25年経ってからの1970年、戦場体験だった。

小説に次のような体験の記述がある。ミャンマー進駐の時だった。上官から、「村から逃げ出すやつはみんな撃て」の命令があった。

 逃げていく婦人と10歳くらいの女の子がいた。それを見た古山は、「自分に撃たせてくれ」と頼み、重機関銃を二人に向けて撃つ。が、古山は意図して弾が当たらないように撃った。逃がしたのだった。古山は、戦場では「正常」だとしていることの異常を感じ取っていた。古山はこの戦争の世界の秘密に触れる。

 「大きなもの」に運ばれて、どこか知らない所へ連れていかれる「アリ」たち。今生きている人間が「何か」によって「無力なアリ」になっている。

 古山は、戦場の兵士用につくられた慰安所にも行かなかった。

 古山は夜、捕虜の監視に立った。捕虜たちは衣服をはぎ取られ、寒い闇の中で泣いていた。

 それを見た古山は、捕虜を抱いて温めてやった。捕虜は声を高くして泣いた。その声を聴いた上等兵が飛んできて、古山を叱り、泣いている捕虜を声を上げられないようにするために殴った。古山は思った。ぼくは何もできなかった、ぼくのやったことは、捕虜をいっそう苦しめることになったと。

 

 この小説を読んだ高橋源一郎が問いかける。

 「人はどんな場所に居ても、『正常』でいるためにはどうすればいいのか。何が正常で、何が正常でないのか。それをどうやって判断すればいいのか。

 『戦争』は今もあらゆるところに存在していて、『戦争』という形をとらずに、この問いをぼくたちに投げかけている。」