一枚の切り抜き

 

 

 書類の中から、「天声人語」の切り抜き一枚がひらりと出てきた。昨年の7月31日の記事だ。読み返してみて、いろいろ思いが走る。

 読みやすいように、その記事の体裁を少し変えてここに載せる。

 

 天声人語

 

 <断固たる意志 偉大なる栄光>。ロシア国歌の一節だ。スポーツ国際大会でおなじみの旋律を、東京五輪で聞くことはない。ロシアが日本に逆転勝利した体操男子団体でも、奏でられたのは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番だった。

 ▼「国歌が流れず無念だった」。ある選手は嘆いた。国家ぐるみのドーピング問題を受け、ロシアは国ではなく五輪委員会として参加し、国歌が禁じられた。ロシア側は代わりに「カチューシャ」を提案したが、スポーツ仲裁裁判所に退けられる。

 ▼<彼に祖国の地を守らせよ さすればカチューシャは愛を守り抜く>。モスクワ駐在の長い同僚によれば、出征した恋人を想う少女の歌で、愛国色が警戒されたらしい。世代を超えて愛されるチャイコフスキーは無難な選択だったというわけだ。

 ▼そもそも五輪憲章には、表彰式で国歌をという定めはない。1952年から20年にわたり、国際オリンピック委員会を率いたブランデージは、国歌廃止を訴えた。「五輪に政治を持ち込むな」という、オリンピズムの理念に忠実たらんとしたのだ。

 ▼しかし現実の五輪には、常に政治が影を落とす。今週、香港の選手が金メダルを獲得し、中国国歌が流れると、香港市民からブーイングが起きた。<打ちたてよう 自由で輝く香港を>。市民が聞きたかったのは、若者たちの抗議の歌だったろうか。

 ▼鍛錬を重ね、重圧に耐え、ようやく達する五輪の頂点。栄冠をたたえるはずの旋律が、かくも心を乱すとは。

 考え込むことが多い五輪である。

 

 以上が「天声人語」の記事である。今読んでみて、この時すでに今のロシアにつながってくるものを感じる。

 独裁的要素の強い強権国家ほど、スポーツでも勝利主義がはびこる。国家の栄光、強い祖国、それを経済にスポーツに軍事に顕現しようとする。オリンピックでのプーチンの屈辱感は憎悪にまで至っていたかもしれない。それが今年、軍事に現れてきた。呼応して、中国による香港、台湾への抑圧に現れてきた。