「世界がもし百人の村だったら」、学生の感想文の一部

 

 

 

 <つづき>

   「世界がもし100人の村だったら」を読んだ学生たちの感想文は、一人1000字から2000字に及ぶ長いものだった。次は、何人かの感想文の一部。

 

             

    張君華

 中国の雲南省に、珍しい樹があります。「紅豆杉」と言われている樹です。この樹の皮の中に、1%の、がんを抑制する物質があるそうです。それを知った人によって、この樹の森が、ほんの10年間で絶滅的に破壊されてしまいました。樹皮がはがされて枯死したのです。このように自然・地球は破壊されています。

 日本が中国を侵略した時、日本軍は極秘に細菌戦術を研究し、中国でそれを実行することを計画しました。戦後、王選という女性は8年かけて、細菌戦術の正体をあばきました。それをしなければ、人類の文明史に恥をかかせることになると、彼女は努力を尽くしたのです。

 

 朱雅静

 地球上 で最大の問題は、「戦争と平和」です。中国人にとって日本は、中国を侵略した凶悪で残忍な国でした。けれど今は、日本人も私たち中国人のように平和を愛する人たちだと信じて疑いません。一衣帯水の日中の人々が、共に楽しく生活できることを祈っています。人間と人間の付き合いは、誠意から始まるのだと思います。

 

 蔡静

 先進国と発展途上国との格差が、大きくなっています。「100人の村」では、「20人は栄養が乏しく、1人は死にそうです。15人は栄養が十分すぎて、太りすぎです」と表現しています。世界の人間の不平等が、よく分かります。そこへもって環境破壊です。森林伐採、砂漠化、土壌の酸性化は深刻です。動物たちの生存が脅かされ、25%の哺乳動物、11%の鳥類が絶滅に瀕しています。平和、公平、愛で世界を満たすために、一緒に頑張りましょう。

 

    包明蓉

この「村」(地球・社会・人間・自然)の未来はどうなるのか。豊かだった自然環境も限界にきている。われらは、子孫のために行動しなければならない。戦争はダメだと言っても、戦争は止まらない。止めるためには実際に行動することが必要だ。「100人の村」なら助け合うことができるはずだ。だが、現実の世界は、殺人、テロ、飢えなどが絶えることがない。

 

 盛莉

 世界は、経済発展や開発ばかりを追って、長期的な展望を無視しています。人間は逆に退化し、この状況だと人類の未来は想像できません。「100人の村」の仮定は、人類絶滅の予言かもしれません。厳しい悲観論から、新しい展望が生まれることを願っています。共に生きる意志をもち、共に平和に生き、土地や資源を公平に分配し、富を公正に共有し、互いに助け合い、愛する。そうなれば世界はどんなに美しくなることでしょう。

 

 韓娜

 人間の長い歴史は戦争から脱け出せない。この五十年間の世界で、紛争のない平和な日はたったの二日だけだった。ということは、この五十年で二日を除いて、毎日戦争で亡くなっている人がいる、家を失っている人がいるということだ。現代は、貧富の差、環境問題なども深刻になっている。自分は幸せな人間だと思っていたが、地球村の人間としては、幸せではない。世界の平和と発展を追求することが、自分の幸せを求める人としての責任であると思う。

 

 強敏恒

 現在の世界は確かに貧富の差が大きい。この世界に不平等なシステムが存在するからだ。経済的不平等が世界経済を動かしている。「開発と発展」では貧富の格差を解決できない。それがもう一つの問題を引き起こした。環境問題だ。多くの人がこのことを意識し、この村を愛し行動すれば、まだ間にあうだろう。

 

    閻超

富める者は富める者なりに、貧しいものは貧しいものなりに、その人が味わうものがある。私が感じているものは、他者には分からない。幸せも同じだ。幸せの価値観は、今の世界では多くの人の好みに合っているのかもしれない。しかし、とても残酷な一面も持っている。貧困、不平等、失業、差別などが増えている。競争も激しい。他人と比べて、自分は足りないと思う人が増えている。

 

 張佳梅

 「村」というものは、ただ単に人々が群れをなしているというものではない。村民は、共に生きる意志を持ち、土地や資源を公平に分配する規則、富を共有する掟をもっているはずだ。資本主義産業システムは、その働きを自由市場に任され、貧富の差を拡大させてきた。貧困国の問題を解決しなければ、世界の平和は維持できなくなる。