荒野・地球

 

 二十数年前、五木寛之が「大河の一滴」で、こんなことを書いていた。

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 これから生きていく時代は、どういう時代なんだろう。

 今この社会は乾ききっていて、もうひび割れしているのではないか。ぼくらの前には、戦後のような焼け跡、闇市が広がっているのではないか。それがぼくらには見えていないのではないか。

 目の前にあるのは、実は廃墟なんだ。大きなビルが立ち並び、はなやかな風俗が流行していても、実はここは焼け跡であり闇市であるのだ。

 再びぼくらは無から出発しなければならないのだ。荒野の中に、あらためて新しい生命として誕生しなければならないのだ。そういう時代にわれわれは生きている。

 ぼくは新聞を読んでいて、あーあとため息をつく。木枯らしのようなため息をつく。

 

 人間の体の奥底からもれ出てくる、うめき声のようなものを、古代インドでは、「カルナー」と言った。中国人がそれを訳して「悲」という字を当てた。

 今は、すさまじい時代だ。大転換期のような気がする。

 「生と死を包含しながら生きているというのが人間という個体なんだ」と免疫学者の多田富雄さんは言った。

 免疫というシステムは、体に侵入してくる異物を拒絶して排除する、自衛的な働きをしているだけではない。「自己」と「非自己」というものを、非常に厳しく明確に区分けして、「自分とは何か」というものを決定する。そして、免疫は、異物を拒絶するだけでなく、異物と共存する作用を持つ。母親の胎内に生まれた子どもの生命は、「自己」ではない。それがどうして拒絶されないか。それは免疫の中に「寛容」という働きがあり、「非自己」を排除するのではなく、「自己」のなかに「非自己」を共存させていくからだ。二つの異なる世界が、対立し排除しあうのではなく、いかに共生共存するかを模索するのが免疫学にのっとった「寛容」の精神なのだ。

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 この文章が書かれた時代から、世界はもっとひどくなっている。世界を、地球を、破壊する行動がますます深刻になってきている。分断し対立し、排除し、殲滅する力とシステムがますます高まって、世界中に荒野が、焼け跡広がり始めている。